コンクリーツは'80年代に結成されたバンドである。僕自身は当時、名前は知っていたがライブを観たことも音源を聴いたこともなかった。そのコンクリーツのライブを2011年の10月に初めて観た。タコとEP・4を観るのが目的で出かけた「ケイス・オブ・テレグラフ2011」というイベントでのことで、コンクリーツの出番は一番目だった。
まず、登場したメンバーのいでたちに意表をつかれた。フロントマンは明るい色のダブルのスーツ、後ろになでつけた髪はほぼ白髪、白い手袋にサングラス。パッと見、中年を通り越して初老の紳士である。演奏するのはドドンパを始めとする軽音楽。コンセプトは明確だ。若造がやってサマになるとは思えない。ジイさんが歌うドドンパ。これが見事にハマりすぎていて30年前の姿が想像できない。もしかしたら結成当初から今の姿をこそ目指していたんんじゃないかと思う程だ。しかも、それがあながち的外れでもなさそうなのだ。本盤(テレグラフ / TGC-032)のインナースリーブに結成当初とおぼしき演奏風景の写真がある。その写真では現在白髪の氏が当時は当然まだ黒々とした髪に白か、あるいは銀のメッシュを入れているのが確認できる。明らかに実年齢より老けて見せようとしているのだ。
あの当時、誇るべき若さをわざわざ隠し、実際より老けて見えるのがカッコいいというセンスがどこから来ていたのか。誰をそのお手本としていたのか?僕にはたったひとり、ブライアン・フェリーしか思いつかいない。
ブライアン・フェリーは'70年代前半のイギリスでグラム・ロックの二大スターだったデビィット・ボウイ、T・REXに迫る人気を博していたバンド、ロキシー・ミュージックのリーダーである。パンク以前のロック・ミュージシャンといえば長髪が当たり前だった中で、フェリーの短髪にスーツというスタイリッシュなファッションはそれだけで異彩を放っていた。僕の回りにはフェリーのダンディーっぷりを天知茂になぞらえる者もいた。僕もそうだか、'76~'77年にパンクに出会う前はグラム・ロックを聴いていたという人は自分の同世代に少なくない。本盤のライナーノーツにもこんな記述がある。
「バンドの首謀者である清水氏(シム・コンカン)、ナオケンこと直井健氏、トミー・エンこと富田ネズミ英次氏(S-KEN)は'76年に前身となるバンド、プラネット・オールスターズを結成したことになっている。しかし、これは架空のバンド。グラム・ロックをヴィジュアル的に日本流に解釈したバンドというコンセプトはできていたものの、実際の演奏活動には至っていないそうだ。」
フェリーは'77年にロキシーではなくソロで初来日している。来日公演は僕も観に行った。その後、僕が知り合うことになった同世代のミュージシャンのことごとくが「あ、俺もあのライブは行ってたよ」というほどそれは重要なライブだった。パンク前夜、フェリーは間違いなく最重要人物のひとりだったが、その影響をストレートに打ち出すようなアーティストは日本ではほとんどいなかった。葡萄畑の青木さんはもしかしたら意識していたかもしれない。舘ひろしが一時期もろフェリーだったが本人の意志がどうかは疑わしい。しかし、知らなかったのは僕だけで、コンクリーツがいたのだ。僕は勝手にそう思い込み、旧友に再会したように喜んでいるというわけだ。といっても僕はコンクリーツを和製ロキシーだと言いたいわけではない。本盤を聴けばわかるがコンクリーツの音楽自体にロキシーとの類似は特に見つからない。M-6「英字新聞」のサックスぐらいだろうか、ロキシーを想わせるのは。しかし、しつこいようだが、コンクリーツのインプットにロキシー~フェリーがあるのは間違いない。それでアウトプットがドドンパ。それが素晴らしいと僕は言いたいのだ。
蛇足。本盤には「A young persons guide to CONCRETES」という副題(?)がつけられているが、これはおそらくキング・クリムゾンのベスト盤「A young persons guide to KING CRIMSON」にならっている。ブライアン・フェリーはロキシーでのデビュー前にキング・クリムゾンのヴォーカリストのオーディションを受け落選したという経歴を持っている。キング・クリムゾンになりたかった男が始めたバンドもまたキング・クリムゾンと似ても似つかぬバンドだったのだ。