ECD : 失われたWANT LIST - ブラウン・ライス『旅の終わりに』 [2014-06-10]

 ヒマがあればディスクガイド的な本をパラパラめくっている。そうしているうちに「これは」と思ったレコードのジャケットが記憶に刻みこまれる。レコ屋でレコードを漁る中で「お、このジャケ、どっかで見たな」とそのレコードをエサ箱に戻す手が止まるが、その時点ではもちろんそのジャケをどこで見たのか、どんな評価をされていたのかも思い出せるわけではない。試聴ができる店なら念のため試聴するが、できなければ自分のおぼろげな記憶を信じてレジに持っていく。

 このレコード(東芝EMI / ETP-72073)もそんな風にして手に入れた一枚である。試聴した時点で「これはただならないアルバムだ」と思ったのだが、家でゆっくり聴いてその確信は深まった。何で見たんだっけとディスクガイドの索引を探すと、レコード・コレクターズ増刊"日本ロック&ポップス・アルバム名鑑 1966-1978"で田口史人さんがレビューしていた。以下引用。


 「鋭いシンセの電子音と意外なビートでグルーブするオープニングから、大らかさと奇天烈な発想が交錯する」


 さすが、田口さん、僕はもうこのアルバムのサウンドを表現するのにこれ以上の言葉を費やす気にならない。このバンドが惣領泰則のバンドであることも田口さんのレビューを再読するまで気付かなかった。中古盤にはよくあることだが僕の買った盤には封入されていたはずの歌詞カードが無かったのでメンバーの名前すらわからなかったのである。もちろんセンターレーベルを見れば作詞作曲者として惣領泰則の名があるのだが購入する時はそこまで見なかった。歌詞カードがないので一曲目から歌詞を注意深く聴いてみた。「U.S.A.#1」という曲である。


 何もかも捨ててアメリカへ来た

 青いバスを借り楽器を積み込んだ

 ところがこの国はむずかしい国で

 歌を歌うにもお許しが必要

 それでもどうにか許可をもらって

 この広い国で歌い始めた


 田口さんのレビューにもこのレコードがアメリカで録音されたことは書いてあった。海外録音というのは当時から珍しいことではなかったのだが、この歌詞によればどうやらライブ活動もしていたらしい。僕は色めき立った。ウィキペディアにはこんな記述があった。


 「MGMレコード社長マイク・カーブのオーディションに合格、米国メトロ・ゴールドウィン・メイヤーレコード社とアーティスト契約を交し、ミュージシャンズ・ユニオンカードを取得する」


 この「ミュージシャンズ・ユニオンカードを取得」というのが歌詞の「それでもどうにか許可をもらって」に当たるのだろう。裏ジャケには北米の地図が印刷してあり、54ヵ所に赤丸が付けてある。これは演奏した土地を示しているのだろう。歌詞に出てくる青いバスの写真もある。ジャケに写ったメンバーは五人。うち、女性が二人。片方が惣領智子、もう片方が日系アメリカ人の高橋真理子。写真を見るとちょっと顔も似ているので思い違いしてしまいそうだが、元ペドロ&カプリシャスの高橋真梨子とは別人。バンドが渡米したのは'71年、このアルバムの録音は'74年の9~12月とあるから三年くらいはアメリカでライブ活動をしていたことになる。当時、海外で評判を得た日本のバンドといえばサディスティックミカバンドが有名だったがブラウン・ライスのことは聞いたこともなかった。他にも驚いたことがある。A面4曲目に「カントリー・ドリーマー」という曲がある。作曲のクレジットがポール・マッカートニー。聴いたことのない曲だがカバーなのだろうと思ったら何とポール本人からのプレゼントだという。しかも作詞は阿久悠である。

 ブラウン・ライスがアメリカでどんなライブをしていたのか?「U.S.A.#1」の最後はこうだ。


 うれしいじゃないか 素晴らしいことさ

 どこへ行っても拍手はやまず

 どんな人間も歌を愛する


 そう歌う声は自身に満ちている。僕が最初に感じた「ただならなさ」は三年間のアメリカでの演奏がつちかったものだったのだろう。埋もれてしまったのが不思議でならない一枚である。