ECD : 失われたWANT LIST - YUKI OKAZAKI『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』 [2014-09-09]

 岡崎友紀が加藤和彦プロデュースの元、YUKI名義で80年にリリースしたアルバム(ワーナー・パイオニア / K-12003W)。11月にリリースされたこのアルバムではジャケットに岡崎友紀との漢字表記はないもののYUKI OKAZAKIとその名が明かされているが、6月に先行リリースされたシングル盤「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」にはYUKIとの表記しかない。最初は岡崎友紀であることを明かさず覆面シンガーとして売り出され、その時のことは僕も覚えている。「正体は誰だ?」と思わせぶりな宣伝がされ、しかし、岡崎友紀であることもほのめかしていて、「おくさまは18才」でのアイドル岡崎友紀にドキドキした自分としては、曲のタイトル「私のこと覚えてる?」もあいまって複雑な気分になったものである。

 アルバムの内容は先行シングルA面がそうだったようにオールディーズ・リヴァイヴァル色が濃い。特にA面。曲調はもちろんなのだが特筆すべきはその音像で、明らかにフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを意識している。それがもろやり過ぎと言っていいレベルで、家で針を落としてビックリしたのだが、一種異様ですらある。異様といえば岡崎友紀の歌いっぷりもそうで、覆面シンガーということで岡崎友紀らしさを封印した結果なのか、逆に「おくさまは18歳」で定着したアイドルとしてのイメージの方が虚像でこっちの方が岡崎友紀の真の姿なのか、わからないくらいに歌いっぷりが弾けている。特にA2「ウォッカ・ツイスト」は凄い。そもそもオールディーズ調の曲というのはアイドルの可愛子ブリっ子を強化する際の鉄板であってそれをアイドル脱皮に使ったというのはあまり例がないのではないか。覆面シンガー、そしてアイドルとして売らなくていいという自由はプロデューサー加藤和彦のタガも外してしまっていて、アイドル歌手ではありえないヴォーカルの加工もこのアルバムの聴きどころのひとつだ。いくらアイドル脱皮を企図していても岡崎友紀名義で出すとなっていたらこんなアルバムにはならなかっただろう。

 ところで、このアルバムが出た80年代初頭は他にもオールディーズ・リヴァイヴァルを志向した作品は多かったのだが、記憶に残っているものについてその発表年を調べてみた。

 真っ先に浮かんだのが大滝詠一の『ロング・バケイション』。僕は今回『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』を聴いて、これはひょっとして加藤和彦による『ロング・バケイション』への反答ではないかとかんぐったのだが、リリースは『ロンバケ』が81年3月と『ドゥー・ユー~』より4ヶ月だけだが遅い。大ヒットしたヴィーナスの「キッスは目にして」がやはり81年。シャネルズの「ランナウェイ」は80年2月とちょっと早い。この時期の日本のヒット・チャートはテクノポップとオールディーズが混在していたのだ。

 『日本ロック&ポップス・アルバム名鑑1979-1989』の『ロング・バケイション』のレビューにこんな記述があった。「大滝を再び制作に向かわせたきっかけは、J・D・サウザーの『ユア・オンリー・ロンリー』(79年)を聴いたことだった。趣味的なオールディーズの世界観を現代の都会的なメランコリーに置き換えるアイデアは大滝を大いに触発。」(松永良平)

 あちこちでそんなことが起きていたのだろう。僕の耳で聴いた作品の中で『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』に一番近いのは、80年2月にフィル・スペクター本人をプロデュースに迎えてリリースされたラモーンズの6作目『エンド・オブ・ザ・センチュリー』である。
オールディーズのメランコリーが世紀の終わりを漂わせるという意味では岡崎友紀のアルバムタイトルが「エンド・オブ・ザ・センチュリー」でもおかしくない。『エンド・オブ・ザ・センチュリー』のリリースは『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』が制作に入る直前なので、加藤和彦が『エンド・オブ・ザ・センチュリー』を聴いた可能性はある。この時期、ヨーロッパ三部作でタンゴやジャズにアプローチしていた加藤和彦がオールディーズというのも唐突なようだが、ミカバンドをやっていた加藤和彦だから、この路線もそう意外ではない。ソロでは封印していたミカバンド路線を、岡崎友紀という素材を得て開放したのが『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』なのかもしれない。そう考えるとタイトルにもまた違った意味が見えてくる。

 追記 和レゲエと知られる「ジャマイカン・アフェアー」はシングル「ドゥー・ユー~」のB面収録でアルバムには入っていない。