ECD : 失われたWANT LIST - 鈴木ヒロミツ『永遠の輪廻』 [2015-12-09]

音楽に限らずアート全般、作り手がやりたいことが明確に伝わる作品は高く評価される。しかし、やりたいことを模索している様子が生々しく作品から伝わりそれが面白く感じられる作品もある。


70年代、元GSのミュージシャン達は程度の差はあるが皆、自分のやりたいことを見失ない模索しているように見えた。しかし、そんな作品を今聴くととても面白いのである。ジョー山中というひとがその代表格だ。まず英語でやるか日本語でやるかということから始まって、そもそもロックをやるのがロックなのか、となってついにはレゲエ・オンリーのアルバムまで作る。さらには90年代に入ってほとんどブラコンみたいな作品まで出している。


今回紹介するのはしかしジョー山中ではなく鈴木ヒロミツのアルバム。GS時代はザ・モップスのヴォーカルを務めていたひとだ。ザ・モップスはGSとしては例外的に長命で最後のアルバムをリリースしたのがなんと74年。しかもただ長くやっていただけではない。ほとんどのGSがとっくに活動を停止していた72年になっても「たどりついたらいつも雨ふり」というヒットを飛ばしている。僕が丁度自分でラジオを聴くようになった時期なのでこのヒットはよく覚えている。ほとんどのGSはそのルックスで女の子を魅きつけアイドル的人気を博していた。しかしザ・モップスはそうではなかった。長命だったのはルックスではなく音楽性で勝負していたからでもあったのだろう。


そして、その音楽性においても方向性を見失ってしまったのがGS解散後のミュージシャン達であった。そもそもGSの音楽性というのはオリジナル曲よりもライブで演奏する海外のバンドのカバー曲によって提示されるものだった。ザ・モップスのウィキペディアにもこんな記述がある。


所属レコード会社のビクターから「(アイドルの)モンキーズの曲をやれ!」と言われたが断固として「アニマルズやゼムをやりたい」と譲らず対立。ビクターから解雇され、東芝レコードに移籍した。
元GSのアーティストの70年代の作品からは当時そのアーティストがどんな曲ならカバーしたかったのかそれがうかがい知れない。そこが面白い。やりたい曲がわからなくなっているように思える。それは沢田研二のようなソロ活動でも大成功を収めたアーティストも例外ではない。当時のライブ盤を聴くとカバーしてるのは相変わらずストーンズ・ナンバー。かろうじてデビッド・ボウイの「ジーン・ジニー」をカバーすることで時代の空気を反映させるくらい。同じ頃にユーライヤ・ヒープやキング・クリムゾンをカバーしていたザ・ピーナッツの方がよほど時代に肉迫しているという状況だった。


そんな中、元スパイダースのかまやつひろしはフォーク界の人気者吉田拓郎の詞曲による「我がよき友よ」でヒットを飛ばしたりする。もはやロックを捨ててしまったのかと当時の僕はいきどおったものだった。実はザ・モップスの「たどりついたらいつも雨ふり」も吉田拓郎の作である。しかしこちらはフォークに寄ったものではなく、そのサウンドはあくまでもザ・モップス流ロックだった。
そこで、本作『永遠の輪廻』(東芝EXPRESS / ETP-72205)である。一言で言えば恐ろしく叙情的な作品である。しかし、その叙情は当時の日本を席巻したフォークのそれではない。このアルバムはロック・サウンドによって叙情を表現しようとした作品なのだと思う。それは鈴木ヒロミツがこの当時にロックを通じて何を表現するかを模索した結果でもあったのだろう。だから日本のロック・アーティストがアルバム制作時につい埋め草的には入れてしまうロックンロールや手クセだけのブルース・ナンバー等はここにはない。そのかわりに目立つのがプログレッシブ・ロックからの影響だ。たしかに当時、叙情を武器にしていたのはプログレッシブ・ロックだった。そして、ヴォーカリストのアルバムだというのにこのアルバムには歌が乗らない演奏のみのパートが多い。それもミュージシャンがテクニックをひけらかすための時間ではなくキッチリとアレンジされたものだ。


そう、これは確かに意欲作なのだ。歌詞もそうだ。四畳半フォークにならずに青春の時期を過ぎた元若者の心情をロックとして歌う。そのことへの苦労のあとが見える。プログレッシブ・ロックのサウンドで元若者の叙情を表現する。そんなアルバムをもう一枚くらいは聴きたかったと思う。鈴木ヒロミツは稀有なロック・ヴォーカリストだったと思うから。