失われたWANT LIST - 影法師『影法師 I』 [2017-03-03]

  何の予備知識もなかったので、一応試聴して買ったレコード。喫茶ロックとのコメントがあったがこれがそれにあたるのかどうかはよくわからない。ただ喫茶ロックというコメントが記されているレコードはこれまでハズレがなかったという経験値を頼りに、三千円台と最近はもう手を出さない金額だったにも関わらず試聴してみたのである。しかし、試聴だけではこのレコードの真価を僕は見抜けてはいなかった。2016年最後の買い物ということで「んー、微妙だけど買ってみよう」とちょっとした賭けのつもりで購入したのである。 そして、うちに帰って、まだ家族が帰ってこないうちにヘッドフォンではなくエアーで、つまりスピーカーで鳴らして聴いてみた。びっくりした。とにかく音が良い。それは楽器のアンサンブル、演奏技術、編曲の良さもあるのだろう。それを録音技術が見事に僕の貧弱な音響システムでもわかるくらいに伝えているのだった。もっとも、内容は本当に何の変哲もないフォーク。耳に引っかかるところが一切ない。


 僕は音楽を聴く、選ぶ基準として何よりこの「引っかかり」を重視してきた。「何だコレは?」という疑問と驚きを抱かせてくれる音楽を最重要視してきた。それは何よりもそれまで体験してきた音楽とは違うものに出会いたかったからである。それは、中古レコード店のお世辞にも音がいいとは言えない試聴用ヘッドフォンでも充分聴き取ることができる。歌詞が異様、曲が異常、サウンドが奇天烈、どれもそうだ。針を落とせばすぐにわかる。試聴機でわからないのは音の良し悪しだけだ。

 だから、本作(ポリドール / MR5068)は思い切って買ってよかったと思っている。何しろこんな音楽をこれほどよいと思ったことはこれまでの僕にはなかったのである。しかも、単にイージー・リスニング的に心地よいというのとも違う。きらめくようなスライド・ギターの響き、美しいストリングスのアレンジ、そうした美点がこれ見よがしにではなくスッと耳に入ってくる。歌詞もメロディーもほとんど耳に残らない。ただ一瞬一瞬のサウンドの美しさに耳を奪われる。音楽を聴くというのは本来こういうことなのではないか?これまでの刺激だけを求めての聴き方は間違っていたのではないかと思うほどだ。

 実は僕はこれと似たような体験を過去に一度だけしたことがある。それはカーペンターズのアルバム『ナウ・アンド・ゼン』をCDで聴いてみた時のことである。カーペンターズの曲は中学時代、ラジオで洋楽を聴くことに目覚めた頃のヒット・チャートの常連だった。大好きだったが、ラジオを聴いていればいつでも流れているのでレコードを買ってまで聴こうとは当時思いもしなかった。それを40も過ぎた頃に思い立ってCDを購入して聴いてみたのだ。驚いた。そこにはAMラジオでは聴き取れなかった豊かなサウンドスケープが広がっていたのである。

 耳への引っかかりを頼りに音楽をセレクトするのはラジオから入ったせいでもあるのかも知れない。それで、T・レックスやデビッド・ボウイに出会った。そのことを否定するつもりもないが引っかかりだけではない音楽の価値があるのも確かだ。しかし、そんなレコードに出会うのはまれだ。どうしても刺激を頼りにしてしまう。そういう意味では影法師との出会いはほとんど奇跡だ。

 本作に特徴と言える点がひとつだけある。影法師には男性と女性、二人のリード・ヴォーカリストがいる。アルバムは最初男性ヴォーカルがリードを取る曲でスタートし、次の曲は女性ヴォーカル、その次はまた男性ヴォーカルという具合に交互に進行する。こんな構成のアルバムが他にあったか僕の記憶にはない。また、大体フォークのアルバムというと曲はオリジナルでもアレンジは青木望のような編曲家が手懸けることが多いのだが、影法師はアレンジもメンバーがやっている。インナーのメンバーのポートレイトに写っているのは四人の若者。四人が四人たいした才能の持ち主だったはずだ。
そんな影法師だがネットでググっても全く何の情報もヒットしない。こんなレコードがまだあるのだ。僕はこれからも刺激を、引っかかりを求めてレコードを買い続けるのだろう。そんな貧乏性の耳にもまた本作のようなレコードとの出会いが待っているのを望むばかりだ。