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JETSET): 初めまして。インタビューに応じていただいてありがとうございます。まずは、ROCKET FROM THE TOMBSのことについて聞かせてください。結成されたのは70年代中ごろだと思うのですが、その頃はどんなバンドが好きでしたか?影響されたギタリストは? CHEETAH):
最初にDAVID(PERE UBUの巨漢フロントマン)が始めたバンドなんだ、ただし70年代中頃じゃなくって初期なんだけどね。DAVIDとPETERが本格的に『バンド』をやるってことになって(当初は演劇的要素の強いものだったらしい)、俺は後から参加したんだ。俺たちはそれぞれ別のものから影響を受けたと思うけど、共通するものも多かった。例えばPETERはDYLANとROXY MUSICに影響を受け、DYLANやBLUES、勿論JIMI HENDRIX等を好んで聞いていた。DAVIDはBONZO DOG BAND、CAPTAIN BEEFHEART、MC 5、BLUE CHEER、HAWKWINDとかそんなのが好きだったんだけど、AL STEWARTの『ROADS TO MOSCOW』も好きだったりとか。ホント何でも聞いていたね。ベースのCRAIGはKINKSマニアで、他にはSID BARRETTがお気に入りだった。
JETSET): なるほど。VELVET UNDERGROUNDやSTOOGES、ROLLING STONESのカヴァーが入っていますが、やはりかれらからの影響は大きかったんですね。 CHEETAH): まあ単に好きだからやったってだけで、特別意味はないんだけど。俺たちはやりたいことしかやらなかったし、たまたまよく出来たものはこうやって残ってるけどそうじゃないのもあるしね。なんにしろ、この3つのバンドに凄く影響を受けたことは確かだよ。 JETSET): 後にDEAD BOYSでも再演している『SONIC REDUCER』や、『AIN'T IT FUN』はすでにこの時点で完成していますが、個人的にはどちらのヴァージョンがお好きですか? CHEETAH): う〜〜ん…俺としてはRFTTヴァージョンのほうが好きと言わざるを得ないね、勿論DEAD BOYSのも好きなんだけど、何しろ最初にやったのはRFTTだし。俺にとってあの曲はPETEが歌っているものが一番と言える。あれが本当のヴァージョンだよ。俺が歌うときも(復活RFTTのヴォーカルは彼が担当)PETEの様に歌うこと、つまりそれが本当の姿なわけだからさ。と言ってもただの物まねとかじゃなくって、自分の心から湧き出る本当の気持ちに従ってそうしたい、ってことなんだけど。 『SONIC REDUCER』は、バンドが解散する直前に俺とDAVIDが書いた曲なんだ。でも、今年の2月になるまでDAVIDとはその曲を一緒にプレイしたことがなかったんだよ!本当はDEAD BOYSのはカヴァー・ヴァージョンなんだけど、そのオリジナルは25年目にして偶然できたってわけなんだ。RFFTと一緒にこの曲をやるのはゾクゾクする体験だったね。 JETSET): それは見てみたかった!結局、DAVID THOMASとの音楽性の違いが原因で解散したとのことですが、後の二つのバンド(PERE UBUとDEAD BOYS)を聞いて明らかなように、やはり彼のアート・ロック寄りな嗜好と相容れなかったと言う事ですか? CHEETAH): アート・ロックだって?誰が言ってるんだそんな事?ふざけんな!バンドの問題は決して俺とDAVIDとの間だけに起こったことじゃなくて、全員にその原因があったんだ。PETERはちょっとした成功しか収められないRFTTに失望していたし(彼は僕と彼らをつなぎとめる楔のような存在だったんだけど)、CRAIGの場合はもっと深刻で、バンドの優柔不断さに嫌気がさして、コネチカットに引っ越してしまった。俺はといえばギターを持ってるぼんやりしたただのガキで、STIV(勿論DEAD BOYSの)はそんな俺にいろんなことを吹き込む厄介ものだった。。それに俺たちはドラマーを固定できないと言う問題も抱えていた。 CHEETAH): 確かにPERE UBUとDEAD BOYSは全然違うバンドだ。だが、70'年代初期のクリーヴランドのシーンにおいてはそれぞれが有効な表現をしていたよ。ちょっと外に目を向ければ、もっとろくでもないごろつき同然のやつばかりだったし……俺は、どちらのバンドも正しかったと歴史が証明していると思う。それに、俺に彼の音楽的志向のことを聞かれても俺はそんなこと知ったことじゃないしね。俺とDAVIDは'73年から'75年までしか一緒にいなかったし、バンドが解散してからはほとんど会うことがなかった。'82年から2001年まではただの一度もあったことがないくらいだ。だから俺たちはお互いのことを良く知っているとはいえないし、知っていてもそれは70年代のことだけだ。しかも、27年も経てば人も変わるってもんだよ。とはいっても、一緒にプレイするときには昔の感覚が蘇ってくるし、素晴らしい瞬間をステージで味わうことも出来た。CRAIGとはずっと連絡を取り合ってきたし、RICHARD(TELEVISIONのギタリスト、RICHARD LLOYD。なんと彼は復活RFTTのメンバーなのだ!)とはずっと友達だ、ピカデリーで共演して以来のね。もし俺たちが納得できなければ一緒にやるなんて考えられないことだし、おれはDAVIDとCRAIGと再び演奏できることを誇りに思っているよ。RICHARDとSTEVE(ドラマー)は新しいものをバンドに持ち込んでくれたし、とてもいい感じだ。それがあんたの言うART ROCKなのかどうか知らないけどな! JETSET): すいません、ART ROCKと言うのを悪い意味で使ったつもりはないのですが。TELEVISIONやPERE UBUのような、いわゆるPUNK ROCKの範疇に収まりきらないようなサウンド、と言う意味で。 CHEETAH): 俺にとってART ROCKなんて言葉はいつだって最悪の響きしか持たないね。 JETSET): …。次に、DEAD BOYSのことについて聞かせてください。当初はFRANKENSTEINと名乗っていたそうですが、何故名前を変えたのですか? CHEETAH): FRANKENSTEINって名前では2回しかライヴをやらなかったんだけど、両方とも最悪の結果に終わって、最初っから悪いジンクスがあったんだ。だから俺たちはいったん解散してもう一度バンドを結成しなおして、バンド名を変えたってわけさ。 JETSET): STIV BATORSに初めてあったときのことはおぼえていますか? CHEETAH): 最初に見たときにはALICE COOPERみたいなやつだと思ったんだけど、一旦しゃべってみればそんなやつじゃないってことがはっきり判った。彼は皆が言うような、クリーヴランドの狂犬とかそんなんじゃないんだよ。 JETSET): 当時のクリーヴランドのシーンはどんな感じでしたか?もしくはあなた達もよくライヴをしていたアクロンのシーンは? CHEETAH): クリーヴランドには大きなシーンがあった。もし、君がコンサートに行きたかったり、カヴァー・バンドを見たかったりするならば、の話だけど。大きなラジオ局もあったし、海外のバンドの公演も良くあった。しかし、大きなヴェニューはあってもオリジナルの曲を演奏するバンドのためのそれはとても少なかったし、でもそれを求めているオーディエンスは確実にいたんだ。そんな状況を打ち破るのは難しいことだった。アクロンの場合はもっと酷くて、より田舎くさかったね。ちなみに俺のママはカイヤホガ・フォールズ(アクロン近郊の町)の出身だったんだけど…CHRYSSIE HYNDE(言うまでもなくPRETENDERSの)の出身地と同じところさ。おれはDIVOやTIN HUEYがどうやって出てきたのか良く知らないけど、あそこはかなり遅れてたね。アクロンはクリーヴランドよりも悪い状況で、町の規模も半分くらいだったし、ホントに一軒もクラブがなかった。ゴム工場位しかなかったんだよ。ケント州に至ってはもっと酷い状況だったと思う。 JETSET): しばらくして、活動の拠点をNYに移していますが、その訳は?当時のNY PUNKシーンの中においては、あなた達やRAMONESのようなバンドはむしろ異質だったように思うのですが。 CHEETAH):
JETSET): CBGB'Sを始めとして様々なべニューで数多くのバンドと競演されていますが、一番印象に残っているのは誰ですか?
CHEETAH):絶対にRAMONESだね。俺たちは最初CLEVELANDで行われた彼らのライヴで出会って、すぐに友達になったんだけど、彼らの人気は本当に凄かったよ。 JETSET): イギリスのパンク・バンドとの交流はありましたか?DEAD BOYSはしばしばNYのSEX PISTOLSと例えられることがありますが、彼等のことはどう思っていましたか?シド・ヴィシャスを殴ったとの噂もあるようですが。 CHEETAH): 俺たちは結局PISTOLSとは会う事が無かったんだけど、彼らはほんとに素晴らしかった。SIDとのことは皆言いすぎなんだよ、俺だってあいつのことが好きなんだ、ほんのちょっとはね。実際の話あいつはスゲエ痛かったんだろうけど。 俺たちはDAMNEDがNYに来たときに共演して、その後イギリス・ツアーもいっしょにやったんだけど、彼らはほんとにグレイトだった!今でも彼らのことが好きだね。CLASHの連中もいいやつだった。 JETSET): NYに移ってしばらくベース・プレイヤーなしで活動していたようですが、後にTINA PEELを結成した、現FUZZ TONESのRUDI PRITRUDIも一時期DEAD BOYSで弾いていたようですね。 CHEETAH): 最初はTUFF DARTS(後にWILD CATS〜ソロで活躍したROBERT GORDON在籍)のJOHN DESALVOにサポートを頼んでいた。かなり長い間彼がプレイしていたんで、俺たちとしても彼を引き込みたかったし、一緒にやっていかないか?って誘ったんだけど、やっぱりTUFF DARTSとしての活動があるからということで断られたんだよ。RUDIはよくヘルプをしてもらったうちの一人で、確か一度一緒にライヴに出たこともあるんだけど、結局JEFFに決まってしまったんだ。彼とはそれからも付き合いがあるし、いってみればファミリーみたいなもんだ。 JETSET): 1STアルバムはまさにPUNK史に燦然と輝く名盤として今も尚色あせていません。製作のときの様子を教えてください。多くの曲があなたとSITVの共作ですね。 CHEETAH):
JETSET): IGGY POPとツアーをしたときはどんな感じでしたか? CHEETAH): う〜〜ん、一言ではいえないけど。俺たちはMILWAUKEE,KANSAS CITY,HOUSTON等いろんなところでプレイした。決してパンクの本拠地とはいえないようなところでね。大量のコカインが常にあって、俺たちの意識も朦朧としていたし、客も俺たちのことを歓迎しなかった。決していいツアーだったとはいえなかったな。確かにいくつかのショウは素晴らしいものになったんだけど、それ以外は悪夢そのものだった。IGGYは常に精神分裂症気味だったね、あの時は。 JETSET): IGGYはまだその頃はドラッグ漬けだったんですね…。まもなく2NDの製作に入る訳ですが、もともとのタイトルは『DOWN TO KILL』だったんですよね?タイトルを代えられた理由は? CHEETAH):
JETSET): それは普通駄目出しを食らって当たり前のような気もしますが…。もともとプロデュースをLOU REEDに依頼する予定だったとのことですが、なぜFELIX PAPPALARDIがここででてきたのでしょう? CHEETAH): SIREは決してLOUとの話を前に進めようとしなかった。俺たちがCBGB'Sに出たときに何度かLOU REEDと話す機会があったんだけど、彼はいろんなアイデアを持っていて、俺たちをドイツに連れて行って録音したがっていた。そこで彼は予算アップを要求したんだけどSEYMOUR STEIN(SIREの社長)が許可しなかったんだ。彼はLOUにプロデューサーとしての経験が足りないと思っていたんだ。彼のアルバムをRICHARD ROBINSONがプロデュースしてるって理由でね!SEYMOURはあまりよくわかってなかったんだよ。(つまり、RICHARD ROBINSONがプロデュースしたのは1STだけって事を知らなかったということか?)FELIXに頼んだのは決して俺たちじゃない。俺はレーベルが彼を連れてくるまで、彼が生きてるって事さえ知らなかったし。あいつはホント最悪だった。実際いいヤツではあったんだけど、自分の専門外のこととなると全く何もしようとしなかったんだ。まだエンジニアのSTEVEのほうがプロデューサーらしいこをとしてくれたね。 JETSET): なるほど、結構酷い状況だったんですね。2NDは過剰なオーヴァー・ダブなどもあってかバンド本来のRAWな魅力がそがれてはいると思いますが、明らかに1STと比べてメロディー志向になっていると思います。1STではほとんどの曲があなたとSTIVの共作だったのに対し、本作(特にA面)ではSTIVの曲が大半を占めていますが、それとの関係は? CHEETAH): 俺はもうあの時点で燃え尽きていたんだ。俺たちはお互いに距離を置き始めた。小さな派閥みたいなものが出来てきて、それが俺とSTIVの間を引き裂いていった。俺たちが1つにまとまることはもう出来なくなりつつあったし、最悪の決定がいいろいろ行われた。一応俺がリーダーだったんだけど、他の3人は俺を中傷し始めたし、それが俺のプレイにも影響した。そんな状況だったから俺は自分が書いた曲は誰にも手を加えられないようにしまっておいた。何かあったときのためにね。そこでFELIXが他のをプロデュースして完成ってわけさ。 JETSET): '99年にミックス前の音源がリリースされ、あなたのコメントが寄せられていましたが、やはりあの音こそが本来出したかったサウンドと考えていいのでしょうか? CHEETAH): いや、それは違う。さっきも言ったように、あの時レコーディングされなかった曲こそが俺のやりたかったものだ。 JETSET): セカンド製作後、あなたはNYへ、STIVはクリーヴランドへと帰ったようですが、その時点でもう解散状態にあったのでしょうか?また、その原因の一つにドラッグの問題もあるのでしょうか? CHEETAH): JONNYが刺されてから(NYで地元のギャング?と抗争の上ナイフで刺され重傷を負う。彼の病院代を捻出すべく、BLONDIEやRAMONESも参加してのチャリティーギグが行われた)、俺たちの関係はもう修復不可能なところまで来ていたんだ。。残りの奴らはもうNYに必要とされていないと知るや否やすぐにでも地元に帰りたがっていた。きっと彼らは、俺が感じていた以上に地元への思い入れが強かったんだろう。俺は一人NYに残って、ドラッグにのめりこんでいった。他のやつらもやってなかった訳じゃないけど、良くない事だよね。結局皆それぞれ問題を抱えてたってことさ! JETSET): 解散後、あなたはどのような活動をしていましたか? CHEETAH):
JETSET): 90年ごろに再結成していますが、当時の様子を教えてください。
CHEETAH):まあ当時と変わらない物になったと思うけど、金のためにやったようなもんだ。俺たちははまだ解散したときと同じ問題をそれぞれ抱えていたけど、それを問題にせずただライヴを楽しんだよ。後味は悪かったけどね。 JETSET): 今はナッシュビルに住んでおられるそうですが、何故引っ越そうと考えたのですか? CHEETAH): ただこの街が好きだから、だね。最初にデモ音源を作りにここに来たんだけれど、そのときに今の妻と知り合うことが出来たんだ!彼女はここらへんの出身で、俺は彼女の家のそばに泊まっていたんだよ。って言うのも理由の一つなんだけど、何よりここが素晴らしい『MUSIC CITY』だから、って言うのが一番デカイね。いいミュージシャンが揃ってるし、リハをやったりレコーディングをするにはちょうどいいんだ。それにここではギター・プレイヤーってだけで役立たずのクズだなんて誰も思わないし、皆家族のように受け入れてくれる。確かに大きな都市にはいろんな魅力があるのは事実だけど、燃え尽きずにやっていくにはちょうどいい具合の街だよ。 JETSET): 製作中の新作では、ウィルコのメンバーも参加していると聞いたのですがどんな作品に仕上がりそうですか? CHEETAH): どこでそんな話を聞いたのか知らないけど、俺はWILCOのメンバーとは会ったことが無いよ。彼らの曲の中にRFTTのリリックを引用しているものがあって('96年リリースの名作『BEING THERE』収録の『MISUNDERSTOOD』のこと。RFTTの『AMPHETAMINE』の歌詞の一部を引用。ピアノの響きが切ない名曲です。)聞いたことがあるけど、アレは素晴らしい曲だったね!新作はより“ギター”アルバムになると思う。素晴らしいものになると思うけど、みんなが求めているような“パンク”では無いかもしれない。ただ、それが今俺が求めているサウンドなんだよ。 JETSET): それは興味深い。楽しみにしています。さて、最近の作品でお気に入りのものは? CHEETAH): BOMP!からリリースされているDEAD BOYSの『ALL THIS AND MORE』(スティーヴがステージ上ではいているジャケットで有名なライヴ盤。'98年リリース…。)だね。あいつ等とステージに立っていたときの気分が蘇ってくるんだ。 JETSET): 最後に、とても聞きにくいことなのですが、あなたの親友であるSTIVは'90年に亡くなり、そして今年JOEYが亡くなってしまいました。次々と当時のPUNKシーンを支えた仲間が去っていく今、どのような心境ですか? CHEETAH): 勿論むかつくことだけど、それが世の中ってもんだからね、仕方ないよ…。それにかつて俺たちがどんなことをしてきたかを考えれば、これだけでも生き残ってるってことが凄い気がするね!このことによって俺の中で何が一番変わったかって言うと、以前より人に近づかなくなったってことだね…深入りしないというか。親友を失うことが辛いんだ。俺は全てとまでは言わないものの、最も大切な友人を失ってしまった。だから俺は人から距離をおいているように見られていると思うけど、それは自己防衛のためなんだ。本当にいろんな人を失ってしまったよ。 JETSET): ありがとうございました。 なんだかしんみりとしてしまったが、最近は精力的にライヴ活動なども行っており(なんとPEARL JAMのライヴで『SONIC REDUCERS』を演奏した模様が彼らの次作DVDに収録されるとのこと!)、新作にも大いに期待したい。ホームページもあるので、是非訪れてみてください。http://www.glampunk.org/cheetah.htm | ||||||||||||
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