失われたWANT LIST - スーパー・ジェシー『JESSE ON STAGE』 [2013-03-18]

  昔ながらの中古レコード店だと「歌謡曲・ニュー・ミュージック」の仕切りの近くに「タレント・お笑い」という仕切りが必ずある。あいうえお順にならんだ「歌謡曲・ニュー・ミュージック」の仕切りを全部見る時間や気力がない時でも「タレント・お笑い」の仕切りだけは見てみるというくせがついている。安藤昇や勝新のレコードを探していた頃の名残だ。「タレント・お笑い」つまり、音楽が本業ではない人が出したレコードが集められているわけだから「こんな人もレコードを出していたのか」と興味を惹かれるレコードに出くわすことは多い。まあ、珍しいレコードに当たる確率が高いのは確かなのだけど、これが曲者でついつい手に取って買って帰っても、音楽としてはまるで得るものなしというレコードも多い。随分そんな失敗をした。

 中古レコードの値札には大野雄二、筒美京平といった人気作家の手によるものであることが記されていたりして自分も参考にすることはあるのだが、そうした書き込みで僕がもう十年以上、最も当てにしているのが、行きつけのリサイクル・ショップのレコードの値札に記された「ナイス」「ベリー・ナイス」という書き込みだ。僕は自作のトラックに使うサンプリングの素材としてだったり、DJのセットに加えるためだったりと、はっきりとした目的でレコードを買うことが多い。しかしこの店の「ナイス」「ベリー・ナイス」という評価が自分の目的に適うかどうかの保証はない。それでも、この店で「ナイス」「ベリー・ナイス」と記されたレコードを見つけると必ず買ってしまう。それで損をしたと思ったことがない。自分の求めている音楽ではなくても、それが間違いなく「ナイス」であり「ベリー・ナイス」であることを自分も感じ取れることができるからだ。

 それにしても、この店の店主は何を基準に「ナイス」「ベリー・ナイス」という評価を下しているのか。そのヒントになるのが今回取り上げた『JESSE ON STAGE』(ワーナー・パイオニア L-10088W)である。ジャケ写をご覧になればおわかりの通り、高見山大五郎のレコードである。内容を簡単に紹介しておこう。全八曲中、オリジナルが3曲、あとはカバー。カバーの選曲は「サニー」「V・A・C・A・T・I・O・N」「ジョニー・ビー・グッド」「ダイアナ」「ヘイ・ポーラ」と定番曲ばかりで何のヒネりもない。リリースされた'77年のヒット曲メドレーなんてのまである。店主の「ベリー・ナイス」があったから購入する気になったものの他店で見つけてもスルーしたと思う。

 で、実際に聴いてみても予想通り、「ヤバイ」とか「カッコイイ」とか声をあげたくなるような刺激はないし、そうかといってグッド・ミュージックとしてひたれるというような音楽でもない。それがどうして「ベリー・ナイス」なのか。

 つい最近ツイッターで、あるミュージシャンが昔、アイドルの曲の録音に参加して「つまんねー曲だな」と思いながら演奏したけれどヒットしちゃった、という話をしていた。まあ、よくある話なんだろう。おそらく『JESSE ON STAGE』のレコーディングに招集されたミュージシャン達も、最初は「つまんねー企画だな」とあまり気乗りもしないまま「お仕事」をこなすつもりでスタジオにやってきたのであろう。(もちろん、これは僕の勝手な想像で何の確証もありません。しかし、こういう話でもしないとこのレコードの魅力を説明できそうもないので、あしからず)ところが、リハーサルが始まって、ミュージシャンたちは高見山のしゃがれ声が生み出すグルーヴとその声で発せられるアドリブのかけ声のタイミングのよさに「こいつ、音楽わかってるじゃん」とすっかり盛り上がり、その勢いでレコーディング・セッションはあっという間に終わってしまった。そんな幸福な光景がこのレコードを聴いていると浮かぶのである。それを店主は「ベリー・ナイス」と評したのではないか。

 以前にも書いたけれどレコードは空気の缶詰である。セッションの間、そこにどんな空気が流れていたか。それが何より重要なのではないだろうか。もちろん、それは『JESSE ON STAGE』のような幸福な空気ばかりではない。息もできないほど緊張した空気に圧倒されることもレコードによって経験できる。

 針を落として最初の一音でそのレコードの善し悪しを判断することがある。一音だけで空気を読み取ることはできるからだ。