オリジナル過ぎる男
さてさて、やっと秋めいてきました。こちらあいも変わらず50年代?60年代のヴィンテージなニューオリンズ産R&Bやツイスト物もしくはその他もろもろを聴きまくる毎日。やっぱりなんですが、この頃のポップミュージックってのはシングル盤一枚に賭ける意気込みが半端ナイようで、その破壊力たるや相当なもんです。コエ?!!うちの楽団としても見習いたいところであります。と話がそれましたが、さっそく前回の続きからイキます!
時は1980年代後半、神戸市のニュータウンにある中学に通っていたオレとヨッチャンそしてフルはひょんなことから(前回を参照アレ)、『スクールズアウトプロダクションズ』なるラップグループを結成することになった。ひとまず無事にグループも結成されたってことで、オレ達は頻繁にミーティングを重ねタイトな関係を築くことに夢中になっていった。そして週末には三宮PALEXにあったレコード屋(悔しいことに名前を失念…)やMR.JACKETに12インチを買いに行ったり行かなかったりを繰り返す。
で、ミーティングといってもトラック作ったりなんてことは当然できないわけで、12インチに収録されてるインストでラップするか、ターンテーブルも1台しかないから、アルティメット1枚がけでその上からラップしていた。それ以外の時間はフルのエキセントリックなギャグを浴び、よく笑い死に寸前になっていた。フルは非常にオリジナルな男で「サイトウちょっと来て?な」と言って、オレをベランダに誘い出してはオレだけをベランダに閉じこめ、カーテンを開け閉めしては暴力的なまでの珍妙なポーズをオレに向かって放つのだった。言うまでもなくもちろん全裸で数パターン続きマス…。その他ではちょっとでもスキを見せているヤツがいるとケツペシという言葉を連呼しながら相手のケツを連打する技を繰り出している姿が学校廊下でよく目撃された。それから、確かいつものように週末レコード買いに行こうと誘うと「いや?、オレ無理やねん」と言ってその場では誘いを断っておきながら、現場行くとすでにレコードを掘っている彼の姿が。そしてオレ達の姿を見つけるや否や「お前ら遅いねん!」と一言。当時、こいつ本当に斬新なギャグするなぁと感心したものである。
で、なんだかんだ数曲出来て、そのうちの一曲が“MYアルファゲル”という曲。その他の曲に関しては残念ながら記憶がほとんどナイ。あっ、“インジャン”って曲もあったかな?なんだろう“インジャン”って…。で、その“MYアルファゲル”なる曲、タイトル見れば一目瞭然、RUN.D.M.C.の“MY ADIDAS”を中学の指定スニーカー(キックスって呼んでもエエのかな?)だったアシックスのアルファゲル(白)に置き換えつつホメてんだかケナシてんだかわからない感じのノベルティ的内容だった。なんとも微笑ましい。そしてユルユルついでに同じクラスのレゲエ好きなヒロセックス(最高だなこの名前)も加入し、『スクールズアウトプロダクションズ』は見事、何の脈絡もなく4人組となった。
それからすぐ、同級生だったイカ(これまたキラーなあだ名です)の家でブロックパーティーが催された。機材はターンテーブル1台、そしてカラオケセットのマイクのみ。オレは白いタンクトップに青いマッキー(極太)でゴールドチェインの絵(絵って!!)をペイントしオンダマイク…。オーディエンスはクラスのヤツら数名。オレの記憶が正しければ、ヒップホップて何なん?って感じだったけど皆イイ顔していたはずであ?る。しかしながらマンションの一室でビムンビムンな中学生が騒いでるもんだから、即苦情発生で、マンション管理人にこっぴどく怒られ、中止となってしまった。『スクールズアウトプロダクションズ』の初ライブはこんな感じでした…。
そして、当たり前だが何事もないように思えた『スクールズアウトプロダクションズ』にもちょっとした事件が起こる。放課後、フルとヒロセックスの間で大ゲンカが勃発!どうやらフルのエキセントリックな行動(ex.朝5時にオレん家に来い他多数)にかなり追い込まれたと思われるヒロセックスが三段式警棒(仲間トオルか?)による一撃をフルの頭頂部に入れてしまう。結果、大流血。そして『スクールズアウトプロダクションズ』は実質上オレとヨッチャンの2人になってしまった。それからデラソウルのファーストがリリースされ、オレたちは中学を卒業した。






