第三話
近松門左衛門の言葉に「芸というものは、実と虚との皮膜の間にあるものなり、(中略)虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあったものなり」。と、あるが、現場・飲酒・移動が度重なり続けると、虚実の配合が出鱈目になっていろんな事がよくわからなくなり、日銭にかまけて思慮の足りない仕様もない銭の使い方ばかりをするようになって、排便時や入浴時などにふと我にかえってとても嫌な気分になる。月末にもなるともうほとんど何もかもが憎くなり、ざらざらとした絶望的な心境に至る。「芸というものは……」とかなんとか、我が身に置き換え多少の思慮を働かせてみても「皮膜の間にゴミが浮かぶものなり」。としか思えず……もちろん慰みもない。もしかしたら、心の隙間にゴミが浮かんでいる……風呂に置き忘れられた「美味しんぼ」が湿ってへなへなになっている……薄曇りの六月……やっぱりなんだか銭がない……けれども温泉に行きたい。いや、だからこそと言うべきなのだろうか……こういった問題点や解決方法はハッキリしているのだが、それに対する心持ちだけが何故か複雑というか少し抽象的な場合は、温泉なら何処でもよいというわけにはいかず、したがって健康ランドが併設されている街道沿いの温泉などではいけない。山奥の温泉街でも、バブル期に建設されたでっかいレジャー・ホテルなどが目立つ位置にあってもいけない。では何処なのだろうかという話になると、時は遡って九世紀の後半、大同二年……弘法大師は桂川畔で病父の体を洗う少年を見かけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷たかろう」と、仏具の独鈷で川中の岩を打ち、温泉を湧出させました。伊豆最古の源泉です。その故事にちなんでそこは「独鈷の湯」と呼ばれるようになりました。弘法大師の開いた修禅寺のある修善寺にあります……明治時代に建築された和洋折衷の木造旅館が川沿いに二十数件。川のせせらぎに耳を傾けながら竹林の茶屋に腰をおろして、ふと気が付けば瞬きの間に夕暮れ刻。瞬間で百歳まで老け込んで、ぴくりとも動きたくなくなる不思議な新感覚が味わえる場所だ。一昨年の夏に上京してきた弟と連れたって行ったきりだから、だいたい二年ぶりになるだろう。弟は僕の四歳年下で名前は英男という。今月で二十五歳になったばかりだ。以前は浅草のあたりに住んでいたが、同棲していた彼女と別れて現在は中野の友人宅に居候している。もちろん定職にはついていない。重度の猫アレルギーなので五匹の猫がいる僕の部屋には一切遊びにはこないのだが、なんにせよ、住んでる場所が近いものだからよく二人で遊びに行く。結構仲良しな兄弟なのだ。
この日も、どうせ暇を持て余しているのだろうと見込んで、英男に修善寺に行きたくなった事情を電話で話したところ、案の定英男は部屋でぐずぐずで、思い立ったら吉日だから、すぐさま居候先の友人に車と金を借してもらって一時間後に迎えに行くと言ってくれた。現代人がカルシウムや亜鉛と共に失ってしまった頼もしい決断力を産まれながらにして持ち合わされておられる。我が弟ながらなんと優れた人物であろうか、時代が時代なら……とかなんとか感心したり喜んだりしてる間に丁度英男がやって来た。
さっそく車に乗り込むと、「まだ昼過ぎだし、下道でのんびりとエコノミー・プランで行こうと思うんだけど、兄ちゃんはどうよ?」。どこまでも兄の事を思いやってくれる慈悲深き英男。「慈悲深き英男にまかせるよ」。「アハハハ。何それ。またまた、会うなりわけのわからない事言って。じゃあ下道で行くからね」。「慈悲深き英男にまかせるよ」。「アハハハ。くどいなぁ、それはわかったから、もういいって。じゃあ下道で行くからね」。本当に美しい心や可愛らしさを一寸も損なわず持っている者は、自身に全く無感心なものだ。それになんだかいい加減な事を言ってるだけでもだいたい笑ってくれる。「あっ、俺、二万円借りれたからね。かなりいけるよ。兄ちゃんはいくら持ってる?」。「千円とちょっと。ヘヘヘ……」。「ハハハ……」。ついさっきまで慈悲深かった英男の笑い声に元気が感じられない。「アハハハ」から「ア」が抜けて「ハハハ」になっている。けれども全然大丈夫なのだ。以前行った時には一人一泊五千円の旅館があったのだ。それを英男は思い出せていないようだ。メーターを覗き見ればガソリンもたくさん入っている。温泉に浸かって軽く呑んで一泊して帰ってくるくらいわけがない。「まあ、あれだ。来週はまとまったギャラが振り込まれるはずだから大丈夫だ。兄ちゃんは仕事をしてない英男から借りパクするほど強欲でいい加減な男じゃないから。なっ。なっ……ヘヘヘ……」「ハハハ……」。また「ア」が抜けて「ハハハ」だ。こんな調子では目的地までのドライブが面白くない。英男は本当に善良な性格だし、仕事以外の事では非常に決断力があるというかノリもよい男なのだが、如何せんアドリブがきかない。そして、へそを曲げるとまわりの空気もへったくれもなく、一言も口をきかなくなって、だいたいの場合帰ってしまう。小さい頃からよく似たパターンが何度もあったため、この先の展開を予測するととても面倒臭い気分になってくる。しかし、そもそも少しばかり銭が無いからといって、なんで弟のご機嫌なんぞ伺って、仮にも兄である自分が「ヘヘヘ」な気を使う有り様になってしまわなければならないのだろうか。銭を使いきってしまったがために、絶望的な気分で月末を迎えてしまったから、辛い現実を忘れるため、一時の安らぎを求めて温泉に行きたくなったのだ。こいつは駄目だ。全然わかっていない。けれども、ここで感情的になってしまったら英男がすねてしまって、修善寺に行くのをやめて帰るという取り返しのつかない事になってしまうかもしれないし……。「ヘヘヘ……」。(続く)

