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裸のラリーズの名前を初めて聞いたのは、いつのことだったのだろう。
78年11月1日、青山ベルコモンズ・クレイドルサロンでのラリーズのライブを僕は観ている。共演はフリクションだった。
このライブを企画したのは、僕が当時関わっていた劇団キラキラ社で照明を担当していた、手塚明雄さんだった。僕がこの日に会場にいたのは、照明のアルバイト要員としてだったと記憶している。
青山ベルコモンズ・クレイドルサロンは、キラキラ社のプロデューサーF氏の仕事上の縁があって、その年の春と夏、二度にわたって劇団の公演に使わせてもらったのだが、通常は演劇やロックのライブなどに貸し出すことはなかった。
手塚さんが何を思って、そこでラリーズを観せようとしたのか。僕は手塚さんが、キラキラ社の作・演出家である山本哲に、その案を打ち明けた場に同席していた。
「えーっ、ラリーズやるのお?」
山本はあざけるように笑った。山本は連続射殺魔で一曲歌詞を書いている。手塚さんを引き入れたのも山本だ。音響を担当していた小沢靖(故人)さんも、山本の知り合いということで手伝っていた。小沢さんの名前は不失者のベースとしてご存知の方も方もいらっしゃるかもしれない。そういったことで僕は、山本は当時のアンダーグラウンドに精通した人物だと理解していた。
この時点で、僕はラリーズについて何も知らなかったと思う。山本の嘲笑が、僕にとってラリーズについての唯一の予備知識になってしまった。おまけに当時の僕はパンクにかぶれまくっていた。競演のフリクションへの期待は膨らんでも、ラリーズに興味がそそられることはなかった。
今となっては、山本の嘲笑と、それを信じてしまった自分の単純さ、若さが恨めしい。当日、僕はリハーサルの時点から会場にいたはずだ。本番だけでなくリハーサルも観ているはずなのに、僕が覚えているのはフリクションの演奏だけで、ラリーズについては全く記憶に残っていないのである。もっとも、そのことをもったいないと思うようになったのは、つい最近のことだが。
91年に3種同時にオフィシャルのCDが発売された時、僕は今度はヒップホップにどっぷりで、ラリーズのCDが発売されるというニュースにすら触れた記憶がない。
そんな僕が、ラリーズを聴いてみようと思い立ったきっかけは、ラリーズでベースを弾いていたヒロシさんのソロ・ライブを観たことだった。それが01年。どうしようもなくルーズな、だけどカッコいいヒロシさんのライブにショックを受けた僕はその後、ヒロシさんのバンド、ニプリッツのCDを聴いて、それにもノックアウトされ、そこでやっと「これはラリーズも聴くしかない」と思い至ったのだった。
しかし、ラリーズを聴きたくても、その時はブートしか手に入る音源はなかったので、しかたなく恐る恐るそれらを買い始めた。今回、初CD化された『OZ DAYS LIVE』(OZ / OZ-0-2CD)でのラリーズの演奏は現在唯一のオフィシャル音源として手にできるもののはずだ。オリジナルはLP2枚組。今回のCDも2枚組になっている。オリジナル・アナログ盤ではD面に収録されていたラリーズの演奏は、CDではDISC-2の後半で聴くことができる。ヒロシさんを入口にラリーズに到達した僕にとって、『OZ DAYS LIVE』でのボーカルがクリアに聴き取れる録音は大いに満足できる内容である。同じDISC-2に収められたタジマハール旅行団の演奏も素晴らしい。
このアルバムは、72年6月から73年9月まで吉祥寺にあったロック・ハウス「OZ」での演奏を集めたものである。当時、僕は吉祥寺に住んでいて、この時期は、中学一年から二年にかけてにあたる。ロックに興味を持ち始めていたし、吉祥寺の繁華街をウロウロすることもあったが、さすがに「OZ」の存在を知ることはなかった。
それなのに、『OZ DAYS LIVE』のフォークがあり、ロックンロールがあり、現代音楽があり、サイケなロックがあるという雑多な雰囲気は実際に体験した覚えがある。
79年のことだったと思う。前述の手塚さんが関わっていた神奈川大でのオールナイト・ロック・フェスに、やはりバイト要員としてかり出されたことがあった。ラリーズは出ていなかったけれど、アシッドセブンも南正人も出ていた。玉石混交ゆえに平均化されないその独特な空気が『OZ DAYS LIVE』を聴くと生々しくよみがえる。