『《奇才》MADLIBによるナントカ…』というフレーズ。あらゆる音楽系メディアにて頻繁に使われているが、その少し安っぽいキャッチコピーにいささか食傷気味なのは決して僕だけじゃないはず。しかし思わずそう感じてしまう程、実際ここ最近のMADLIBの勢いや仕事量には凄いものがある。そういえば彼の変名好きは周知の通り。にも関わらず、現在凄い勢いで世に出されているその作品群の主な名義は、何故か全てストレートにMADLIB(狂気解放)と来ている。そしてそのやりたい放題、溢れる才能タレ流し状態の感覚を、僕達凡人が下手にてっとり早く表現しようとすると、どうしてもやっぱり《奇才》あたりに落ち着いてしまう…。 ということで、僭越ながらそんな《奇才》の特集を。

彼の最初のキャリアとなるのが、LOOTPACKである。先日ソロデビュー作をリリースしたばかりのWILD CHILD、2001年にくそドープなBATTLE BREAKS作品を一枚残しているDJ ROMES、この二人に例の《奇才》を加えたトリオがLOOTPACKだ。彼らは90年代初頭、今ではアンダーグランド・ヒップホップのメッカとなったアメリカは地元西海岸のシーンにて動き始めた。我々が当時の《奇才》とその周辺の動向をリアルタイムで知る術はほぼ無かったので、その名前を知るようになるにはMADLIBプロダクションとして初の仕事となるALKAHOLIKS(現LIKS)/"MARY JANE"まで待たなければならなかった。そのALKAHOLIKSの2NDアルバム"(WLIX FROM)COAST 2 COAST"においては、ようやくFEAT. LOOTPACKという形で参加、同年の内にLOOTPACK名義での初12”EPもカットしている。…実は何気に長いキャリアを誇るベテラン選手だったりするのだが、

[ 《奇才》直球路線の主な作品 ]
LOOTPACK (MADLIB)/SOUND PIECES LOOTPACK/WHENIMONDAMIC
このシングルもシーンからはほぼ黙殺という待遇を受ける。そんな無名の時期が長かった彼らに本格的な脚光が当たったのが、あのPEANUT BUTTER WOLFが主宰するレーベルSTONES THROWからのデビュー・フルアルバム"THE ANTHEM"である。このアルバムはあらゆるディティールにおいて革新的なこだわりを見せ、既に過去の制作手法になりつつあったサンプリングを再び新鮮なメソッドとして認識させることに成功する。以降グループの中心的人物らしきMADLIBという男の名前は、敏感な耳を持つ人種から少し得体の知れない存在として今日まで扱われることとなる。

LOOTAPACKで受けた高い評価に充足することなく、《奇才》は更に予測も付かないベクトルに暴走する。悪名高きソロ・プロジェクトQUASIMOTOだ。アルバム"THE UNSEEN"は非凡なBボーイ的センスに基づいた狂気のメタファーが見事に炸裂した、疑う余地も無い歴史的名盤である。まずはE-MU SP12(B.D.P./"CRIMINAL MINDED"やULTLAMAGNETIC MC'S/"CRITICAL BEATDOWN"といった歴史的名盤を制作する際にCED GEEが使用した、伝説のサンプリング・マシーン)とAKAI MPC2000(発売以降完全にヒップホップ・トラック制作時の主流機材となったオール・イン・ワン)のセットを駆使した粗い質感のビート、抜群のセンスで選ばれた美しいフレーズ・サンプリング、そしてそれらが全てミニマムなループで終わることなく微妙に展開してゆく高次元なサウンド・プロダクションがひとつめ、次にQUASIMOTOシリーズ最大の特徴であり、
[ 《奇才》虫声路線の主な作品 ]
QUASIMOTO/BASIC INSTINCT QUASIMOTO/MICROPHONE MATHEMATICS QUASIMOTO/THE UNSEEN QUASIMOTO/COME ON FEET PEANUT BUTTER WOLF/STYLES CREWS FLOWS BEATS
聴く者の三半規管を容赦無く侵蝕する虫声ラップ(レコーディング時にヴォコーダーを使用するのではなく、ヘリウム・ガスを吸引…!?)のもたらす猛烈な狂気がふたつめ、この相反する要素の対比が際立ったこの作品は、幼児特有の悪意無き残酷さを自らが紡ぎ出すファンクに全て注入することで、ヒップホップの自由を見事逆手に取ってしまったような、正にワン・アンド・オンリーな世界だった。

QUASIMOTO名義でのやりたい放題によってヒップホップ以外の層からも確実にプロップスを集めた《奇才》だが、その反動と言うべきか、全く異なる立ち位置から畳み掛けるようなアプローチを開始した。YESTERDAY NEW QUINTETである。ブートレグで流出したSTEVIE WONDERのトリビュートも記憶に新しいが、"UNO ESTA "12"や"ELLE'S THEME"/12"、"BOMB SHELTER"/7"、窮屈な既成概念を開放した記念すべきアルバム"ANGELS WITHOUT EDGES"、そして昨年他界した偉大なる鍵盤奏者WELDON IRVINEへの追悼シングル"SUITE FOR WELDON"等、本来の活動はコッチなのでは?と錯覚してしまいそうな位精力的に作品を発表し続ける。これらの音源は全てAHMAD MILLER(VIBES)、MALIK FLAVORS(PERC.)、JOE MCDUFFREY(KEYS)、MONK HUGHES(BASS)、OTIS JACKSON JR.(DRUMS&KEYS)という架空の人物達の四重奏という設定だが、実はこれまた全て正真正銘《奇才》のソロ・プロジェクトだった。
[ 《奇才》憧憬路線の主な作品 ]
YESTERDAYS NEW QUINTET/UNO ESTA YESTERDAYS NEW QUINTET/SUITE FOR WELDON YESTERDAYS NEW QUINTET/ANGELS WITHOUT EDGES
確かに現行のジャズ作品と呼ばれて然るべきクオリティーを誇るようなものだったが、《奇才》の紐解きに至る道筋において楽器の演奏が…云々は全くもって重要なファクターではない。なんなら本来のジャズでは肝となるはずの演奏を、この際度外視してもいいジャズ。寧ろこのポイントこそが非常に重要だったりするのだ。何故なら彼は過去を器用になぞるジャズミュージシャンなどではなく、《奇才》と呼ばれてしまうくらい度の過ぎてしまった、未来型Bボーイという存在なのだから。

これら複数の変名プロジェクトを推し進める傍ら、JAZZANOVAからDAEDELUSあたりまでといったワイドレンジからのリミックス依頼も、驚くべきフットワークの軽さで寧ろ颯爽とこなしてしまう《奇才》。最近で最も印象に残るリミックス・ワークは、何と言っても"SHADES OF BLUE−MADLIB INVADES BLUE NOTE"、つまり垂涎のサンプリング源BLUE NOTEの公式リミックス・アルバムだ。注目すべきは、ジャズの代名詞とも言えるような名門からの依頼にも関わらず、

[ 《奇才》受注路線の主な作品 ]
MADLIB/PLEASE SET ME AT EASE DAEDELUS/THE QUIET PARTY MADLIB/SHADES OF BLUE
名義が前述のYESTERDAY NEW QUINTETではなくやはりMADLIBである、ということ。…これについては語弊のある憶測に過ぎないのだが、YESTERDAY NEW QUINTETはやはり《奇才》の冗談感覚から端を発した副産物、つまり度の過ぎた未来型Bボーイの気まぐれだった、ということと、"SHADES OF BLUE"は憧憬対象の側からの依頼に対する真摯な敬意の結実、つまり度の過ぎた未来型Bボーイが今回は珍しく冗談抜きだった、という二つの事実を浮き彫りにしているのではないか?だとすると…どおりでよく出来た作品だった訳だ。《奇才》も流石に今回は本気だったのだ。

実はこの先も《奇才》の動向からは全く目が離せない。正に「類が友を呼んだ」新プロジェクトが余りに目白押しだからだ。THE UMAAH以降ヒップホップの音世界の在り方をすっかり変えてしまったデトロイトの《奇才》JAY DEE、そのJAY DEEとの邂逅を果たしたその名もJAYLIB。盟友DECLAIMEのGOODVIBE時代から続く《奇才》コンビネーションの発展型DUDLEY PERKINS。LOOTPACKが活動を開始した頃大陸の反対側で既に《奇才》ZEVLAB Xとしてその名を馳せていた、元KMDのフロントマンMF DOOMとのタッグMAD VILLIAN等…才能が枯渇するどころか、スイッチが入り放しで止まる気配すら見えない。《奇才》であるが故に。

彼の携わる作品がビルボードを駆け上がるなんてことは、今後も恐らくありえないだろう。本来万人の支持を受けるようなベクトルではないはずなのだ。にも関わらず、ここ日本は勿論UKやドイツ、フランスといった、言わばヒップホップが深く根付いた感のある場所においては、確実に《奇才》に打ちのめされている輩が続出している。これはどういうことか?未来型Bボーイである《奇才》に、ようやく時代が追い着いて来た??…結論を言うと、商業化と細分化が進むことにより、

[ 《奇才》とはもう呼ばないで路線の彼の作品 ]
DUDLEY PERKINS/MONEY JAYLIB/RED
慢性的に混迷の度合いを増してゆくヒップホップ・シーンの現状において、MADLIBというアイコンは決して《奇なる才能》なんかでは無いということだ。よくよく考えてみると、ヒップな感性を持つマイノリティー、つまり《奇才》達のちらつかせる革新性が糸口となり、そこから可能性が無限に広がることでシーンが次の時代へとホップする、というプロセスこそ、本来のヒップホップ・シーンの本質というものではなかったか? 《奇才》が混迷の中で《オリジネイター》になる。今僕達はそれを目の当たりにしているのかもしれない。
(TEXT: TACHIBANA(JET SET TOKYO))

© Copyright JETSETRECORDS.NET 2002-2003