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今や、かなりポピュラリティを得た「ディープ・ファンク」という言葉は、元はと言えばこのシーンを代表するDJであり、世界最高峰のノーザン・ソウル〜ファンク・コレクターでもあるKEB DEAGEが'94年にスタートしたパーティーの名称です。いつしか、そこでプレイされているような、'60年代から'70年代前半にかけてリリースされていた、死ぬ程レアなファンクやファンキー・ソウルを指して使われるようになり、1つのジャンルとして認知されるようになりました。その後は、元々レアなファンク7"を買い漁りプレイしていたCUT CHEMISTやDJ SHADOW、KENNY DOPEといった、USのHIP HOPサイドのDJともリンクして、シーンは一気に拡大。さらにそれを受けて次々と音源発掘/リイシューが進み、同時に、それらの音源にインスパイアされて、本格的なファンク・サウンドを体現するバンドも続々と登場していきます。遂にはそれらの現在進行形のバンド達もまとめて「ディープ・ファンク」呼ばれるようになりました。

つまり、「ディープ・ファンク」とはJAZZMANやFUNK45、KAY DEE、STONES THROWといったレーベルがリイシューするような過去の希少音源と、現在のバンドの最新音源も渾然一体となったジャンルで、結果、相乗効果で双方が盛り上がり、発展して来たのです。このあたりは'90年代初頭の「アシッド・ジャズ・シーン」と似た状況ではないでしょうか。

KEB DARGEが手掛けて世に出たNEW MASTERSOUNDSの登場以降、そうしたサウンドを追求するバンドがさらに増えてきましたが、ここ最近のリリースの勢いとその売れ行きはちょっと只事ではありません。しかし、これらがメディア等でまとめて紹介される機会はあまり無く、いまいちシーン全体を掴みにくいのが実情。今回はその足がかりに、最新ディープ・ファンク・サウンドを放つバンド達をレーベルごとに紹介していきたいと思います。さらに、ドイツにおける重要レーベルの1つMELTING POT MUSICの主宰者OLVER氏へインタビューも敢行しました!!

TEXT: YOSHITAKA MORINO(JET SET ONDE)
FREESTYLEはロンドンの名門クラブ、JAZZ CAFEのブッキング・マネージャーでもあるADRIAN GIBDSONが2003年にスタート。ジャズ、ブレイクビーツ等幅広くリリースする中、ディープ・ファンク系の新譜のリリース量は現在恐らく世界一。
TRAMPはドイツのNO.1ディープ・ファンクDJ&コレクター、TOBIAS KIRMAYERが2003年よりスタート。激レア・ファンク7"をリイシューする一方で、KOKOLOなどイキの良いファンク・バンドのリリースでも注目を集めています。
詳しくはインタビューを参照!
(インタビューはこちら
KAY DEEはKENNY DOPEとKEB DARGEというUS、UKの2大巨頭によるレーベル。現在はレア・ファンクやブギーディスコなどのリイシューがメインになっていますが、NEW MASTERSOUNDS、BAMBOOS、DAP-KINGSといった人気バンドの名シングルを残し、それらはいずれもベストセラー。
DAPTONEは現在のファンク・バンドに多大な影響を与えたGABRIEL ROTH(BOSCO MANN)とNEAL SUGARMAN(SUGARMAN THREE)によるブルックリンのレーベル。MARK RONSONやAMY WINEHOUSEとも共演するTHE DAP-KINGSと歌姫SHARON JONESを中心に充実したタイトルが並ぶ、USシーンのの中心レーベル。
TRUTH & SOULは現役30年のシンガーLEE FIELDSやWU-TANG CLANをカヴァーするEL MICHELS AFFAIR、ラテン・バンドBRONX RIVER PARKWAYなどユニークな顔ぶれで、その一筋縄ではいかないセンスが人気のブルックリンのレーベル。
*その他のレーベル作品

■ OLIVER VON FELBERT(MELTING POT MUSIC) INTERVIEW

INTERVIEW+TEXT: MASAAKI MATSUURA(JET SET TOKYO)
レーベル主宰はOLIVER VON FELBERTさん、またの名をDJ OLSKIというドイツ人の中年Bボーイ(そんな言葉無いけど)なんですが、彼のOLSKIという名前を聞いて心当たりのあるアナタは相当なマニアといいますか、んなこと知っててどーするよ?って話ですが、そうなんです。'98年~'02年頃にGROOVE ATTACKレーべルのA&RとしてBIZ MARKIE達を懸命に口説いたりして、あの名高き"SUPERRAPPIN'"シリーズを成功させた、OLSKIさんその人なんですよね。つまり彼は"SUPERRAPPIN'"後にGROOVE ATTACKを退社・独立し、自らのレーベルMPMを設立した、という訳です。
そうした経歴からも分かるように、どうやら「純然たる現在進行形ディープ・ファンク・レーベル」を標榜している訳ではなくて、寧ろ「ディープ・ファンク・ファンからも頷かれるヒップホップ・レーベル」であるみたいですね。だから筋は通しつつも、決して単なる懐古主義に陥ることもない、ある種絶妙なバランス感覚が備わっている、と。その辺についてOLSKIさんは以下のように説明してます。
当初僕はMPMを『ラップのレコードをリリースしないヒップ・ホップ・レーベル』と呼んでいたんだけど、DJ DAYの曲とDEVIL MCDOOMの曲を共CDにコンパイルしている今となっては、その表現も厳密に正しくはないだろうね。ある人々はMPMの事を『ファンク・レーベル』だと呼ぶし。
そこでOLSKIさんは敢えて声高に?主張します。
『ファンク・レーベル』だと呼んでくれてもいいんだけど、MPMは何よりも『インターネット・レーベル』と呼んでもらうのが相応しいと思うよ。
「ヒップヒップ・レーベル」でもなく「ファンク・レーベル」でもなく「インターネット・レーベル」と呼んでくれって…えぇ?!そこが重要なの笑?と軽く心のツッコミを入れつつもその根拠に耳を傾けてみると…。
僕は新しい才能をスカウトするために、地下の小さなクラブで夜の時間を無駄にしたりはしない。誤解が無いように言うけど、地下の小さなクラブが悪い訳じゃないよ。単純に、新しい才能を探す上での確率の話に過ぎない。だから寧ろ、SOUL STRUTやSOUND CLICK、MYSPACEといったサイト上こそが僕の居場所さ。
とのことらしいです…。
そんなOLSKIさん、今でも夜な夜なネット上を徘徊しては、世界中の良質なファンク音源(オブスキュア・ファンクの類よりも、今現在もライヴや音源制作を行っていて、ちゃんとコンタクトが取れるようなジャムバンドやプロデューサー/DJ達のアンサインド・ハイプ)を掘り続けている模様。なるほど今彼がしているように、オブスキュアなファンクを掘るのと同じような感覚で、ネット上に点在するレアなサウンド・ファイルを掘っている「インターネット・レーベル」のオーナーというのは、恐らく相当数いらっしゃるんでしょうね。
とはいえ、その中で彼ほど世界各地(ケルン、ミュンヘン、ハンブルグ、ハノーバー、パリ、アムステルダム、コペンハーゲン、カールスクーガ、サンダーランド、パームスプリングス、アイオワ、テルアビブ他)と繋がりながら選りすぐった音源をかき集め、それらを最良の形でコンパイルして、更に世界的なリリースにまで漕ぎ着けられる人間ともなると、そうそういないんじゃないか?とも。幾らインターネットが便利なツールとはいえ、あとは元手と審美眼さえあればレーベルなんて誰でも…なんて簡単な話では決してないのだから。
レーベル設立の動機を彼は以下のように語ってます。
とても単純なことさ。僕の自宅のレコード・ライブラリーやDJセットにフィットする音楽をリリースしたかった。それだけだよ。だから音楽のベクトルに対するヴィジョンはとても明確だったんだけど、一つ問題があった。そういう音を演奏出来るバンドや、僕が望むようなサウンドを生むプロデューサーを、一体どこで見つけたらいいのかが全く分からなかったんだ。僕の住んでいるケルンの街でそういった連中に出会う可能性は殆どなかったから。ミニマル・テクノが盛んな街としては有名だけどね。ケルン出身で、なおかつ僕がそのレコードを掘ったことのあるレベルのアーティストと言えばCANくらいだしね。だから、僕はまず自宅にあるレコード・ライブラリー念入りに見直して、自分が求めるような曲ばかりを収録したミックス音源を作ってみたんだ。当時僕がSTUDIO672というケルンのクラブでやってたパーティーにちなんで、"SOUL POWER"って名付けたんだけどね。
つまり彼は、レーベルのベクトルを外に対して明確にアピールしてゆく手段として、まずはミックスCDが有効なんじゃないか?と考えた訳です。
彼の手元にプレス工場からCDの完成品が届いたその日は、彼がちょうどEGON(STONES THROW)とのDJツアーに出る当日でもあった為、彼は各会場にそれを持ちこみ、お客さんに手売りをしたり関係者に配布したり、といった感じでプロモーション活動をマメに行ったそうです。結局そのミックスCD自体は数える程度しか売れなかったらしいのですが、そうした地道な努力はある重要な出会いを彼にもたらしました。ツアー最終日となるアムテルダムにて、彼のミックスCDを手にした現地のプロモーターからお返しに…と差し出された一本のデモテープ、それは彼がプロモートしているアムステルダムのローカル・バンドのものだったのですが、インデックスにLEFTIES SOUL CONNECTIONとあったそのテープを受け取ったその瞬間こそが始まりだった、とOLSKIさんは回顧しています。
最初の印象は、何て変わった名前なんだろう?ってことくらいだったんだ。でもケルンに帰ってそのテープを聴いた瞬間、僕は物凄い衝撃を受けた。連中のバンド名は確かに変だけど、音の方は寧ろシリアスというか、物凄くリアルで…それまで沢山聴いてきた新しいファンク・バンドのどれよりも、遥かに衝撃的だったんだよね。それで僕らは早速コンタクトを取り合って、"DOIN' THE THING"の45回転盤シングルを500枚だけプレスし、'02年の12月に発売したんだ。自分達が自らドープなドーナツを手にしたという事は分かっていた。でもそれを手にしてくれる人達が、俺達と全く同じように感じてくれるかどうかは全く分からなかったんだけど、驚くべき事にそのドーナツは発売4週間を待たずに売り切れてしまったんだ。そこからLEFTIES SOUL CONNECTIONがヨーロピアン・ファンク・バンドとして最も人気のあるバンドの1つになるまで、たった2年半しか掛からなかったよ。彼等のように(例えそれが全く新しいモノではない借り物であったとしても)ルーツを忘れず、斬新で生々しく、ラフでタフで荒削りなサウンドこそが、最初から僕が求めていたヴィジョンに合致するものだった。彼らのように才能に恵まれたミュージシャン達を発見することが出来て、僕は本当に幸運だったんだ。
MPMというレーベルを形容する場合、今なら彼の言うように「インターネット・レーベル」だと呼ぶべきなのかもしれないけども、そうしたエピソードを聞いて胸に染み入ってくるのは、どのみち音楽へのひたむきな情熱や愛情を抜きには語れない、という部分であるワケで…。
'80年代後半、16歳の頃からDJを始めて、以降20年近くレコードを買ったり、レコードを売ったり、レコードを回したり、しまいにはレコードを作って世間に音楽を紹介したり、ということを続けているDJ OLSKIさん。レーベル・コンピ『MORE MELTING POT MUSIC』の紹介を、最後に彼自身の言葉でどうぞ。
このCDはMPMの世界へのイントロダクションであると同時に、14のトラックによって聴く者を、世界中を巡る旅へと誘うものでもある。我々の旅はまず、愛すべきカリフォルニア・ソウルと共にDJ DAYが迎えてくれるパーム・スプリングスから始まる。"FOUR HILLS(4つの丘)"とはネイティブ・アメリカンが定義する4つの人生の過程(幼児~青年~成人~老人)を指す言葉だが、音楽もまた同様の過程で進むという事を踏まえれば、これこそがオープニングを飾るに相応しい完璧な曲だと言えるだろう。次の停車駅は、LEFTIES SOUL CONNECTIONが"PEACOCK STRUT"で出迎えてくれるアムステルダム。この曲はアムスのCDショップの店先に漫然と並んでいる、コマーシャルなポップ・ミュージックに対するアンチテーゼだ。ラリった連中や娼婦、チューリップといったステレオタイプな要素は一切無く、だた生々しく筋金入りのファンクだけがそこにある。同じ事はミュンヘン出身のMALCOUNSによる"HIP'N SOUL SHAKE"にも言える。トリッピーなアフロ・ファンクで知られる彼等が、BO BARAL(POETS OF RHYTHM)をゲスト・ヴォーカリストに迎えた曲だ。我々はもう少しの間、ハンブルグの新人ファンク・バンドIMPERIAL BREEDと一緒にドイツで過ごすとしよう。カラオケ用マイクと子供のタンバリンで録音された彼等の"HORNY PIPPIN' BATS"と一緒ならば、行き先を間違えたりする事はない。次に我々は国境を越え、フランスのトゥールへと向かう。2001年に10人編成のアフロビート・バンドMASSAKが"A.S.U."をライブ・レコーディングした場所だ。そこからDELAと彼のバンドSOUL VILLAGEとがジャムっている場所、パリまでは約4時間のドライブ。彼らによるROY AYERS"EVERYBODY LOVES THE SUNSHINE"やWELDON IRVINE"WE GETTIN' DOWN"のカヴァー・テイクは、日本でも知られているだろう?THE VIETNAM VETERANSも同じくフランスのバンドではあるが、実は彼等は時空を超えて過去からやってきたのだ。というのも、この美しいサイケデリック・フォーク・ソング"I GIVE YOU MY LIFE"は元々'84年にリリースされたものであり、シンガーMARK ENBATTAが彼の娘CYNTHIAのために書き下ろしたものだったからだ。ちょうどその頃と言えば、アイオワ州グリムスの若き天才A-KOがまだ幼稚園に通っていた頃だ。しかし彼が17才の青年になってドロップした1ST.シングル"SOUL'69"について、かのフェーダー誌はこう評した。『アメリカ中西部の辺鄙な村に育った17才の若者が、チープなサンプラーと本屋で購入したセールレコードの山を手にしただけで、まるでアナログレコードに精通した腕ききのプロデューサー、つまり自分の親ほどの年齢のベテランに肩を並べるような音源を仕上げたという事実には、全く持って驚かずにはいられない』そして再度大西洋を渡り、次の停車駅はデンマークの首都コペンハーゲンだ。たった一回のロング・セッションのためだけに揃った謎多きビッグバンドQUEEN EVE & KINGSのいる場所でもある。そこからスカンジナヴィア半島を北上してスウェーデンのカルルスクーガへ。そこでは弱冠21才のビートメーカーDEVIL MCDOOMが制作活動に勤しんでいる。彼のダークでムーディーなブレイク・スコア"BLOOD MONEY"は、スウェーデンの有名な家具専門店IKEAの棚に並べられているDEVID AXELRODのアルバムや、『DEATHWISH』のサントラ盤LPの横に置かれることになるだろう。こうした全ての音源の存在は、新しくエキサイティングな音楽というものが、おおよそ似つかわしくないような土地や予想外の場所からも充分生まれ得る、という事実の更なる実証でもあるのだ。