安孫子真哉 : 安孫子真哉: 第二回「Organism Addict」 - [2019-08-26]

夏休みに入ってもしばらく居座った梅雨空。今年こそは早めに宿題を終わらせていっぱい遊ぶぞー、と息巻いていた娘だったが、
一気に加速して訪れた灼熱の夏本番と共にその宣言は頭の片隅に放り出されたようで、毎朝妻と私の出勤と同時に宿題も持たず首から水筒をぶら下げて自転車で駆け出していく。
近所に住む祖父母の家、プール、そして友達と遊んでいる。一家が再度顔を合わせる夕方以降も宿題をやる気配は今のところ一向に無い。
毎年休み終わり間際になると泣きながらやってるよね、今年は大丈夫かなー(笑)。
そしてそんな娘の姿を見て、あー自分も確かにこんな感じだったよなー、などと思い返している。

 

立て付けの悪い引き戸。開けっ放しの木枠の窓。風鈴とうちわと扇風機。ホームランバーと麦茶。
勇ましいクワガタに美しい蝉の抜け殻。白いランニングにクタクタのタオルを首に巻き座椅子に座った祖父の姿。
無人駅のすぐ目の前にある私の実家はその頃小さな酒屋を営んでいて、父親は外に仕事に出てはいたが、店番をする母親と祖父がいる自宅でのんびりと夏休みを過ごしていた。
学校のプールから帰ってきてお昼ご飯を食べ、お店からアイスやらお菓子などをくすねてきては心霊番組の『あなたの知らない世界』と大平洋戦争の記録番組を観るのが日課だった。
『あなたの知らない世界』はヒーヒー言いながら観ていたのだが、戦争の記録番組の方になると自然と神妙に眺めていた。
祖父はとても静かに、時折身を乗り出しながら食い入るようにテレビを見つめている。「戦争は絶対にダメだ」と強く呟く。
祖父は右手の指が5本とも無かった。10代の頃上京して工場に働きに出ている時に機械事故により切断してしまったそう。その頃は俳優を目指していたと聞いた。
祖父の膝に座りながらその不思議な右手をさすりさすりするのが好きで、そうしているうちに祖父が優しく微笑んでいたのをよく覚えている。
その右手の障害の為に徴兵を免れていたという事は後々に気づく事になる。


チェルノブイリの原発事故。明日の雨に当たるとガンになるらしいよと友達がウワサしている。
今度消費税というものが始まって100円のジュースが103円になるぞ。
ベルリンの壁ってなんだろー?
ベトちゃんドクちゃんのテレビ観た?
カトちゃんケンちゃん観た?
キョンシーが来たらどうする?お札の呪文は描けるようになった?
予言で1999年に人類は滅亡するらしい!
熱が出て珍しく学校を休んだ日。ワイドショーで流れていた児童誘拐のニュースが恐ろし過ぎて布 団にくるまりガタガタと震えていた。
保健便りに書いてあった赤痢の記事。えっ、オレいつもウンチしたらチリ紙に血が付いてるぞ、、 、(ただのお尻を強く念入りに拭き過ぎー)
隔離されるー!連れて行かれるー!こたつの中に隠れてガタガタと震えていた。
ジャッキー・チェンかっけー!
隣の小学校との30対30の抗争。公園での決闘。
エロ本拾った。
幽霊見た。
BB弾当たって泣いた。
あの子の家火事になった。
川で溺れかけた。
昨日はホタルいっぱい飛んでたね。

小学生の騒がしい夕方は終わり、家に帰れば酒屋の配達の手伝い。手伝いといっても運転する祖父のとなりに座っているだけだけれども。
ビールケースを運ぶのを手伝おうとしても、「大丈夫だー 」と言いながら不自由な右手をもろともせずに器用に持ち上げる。「駄賃かー」と笑いながらいつもマンガやCDを買ってくれた。
恵まれていたと思うし感謝している。同じマンガ、同じCDを飽きる 事もなく何度でも繰り返し読み聴く読み聴く読み聴く。
こち亀、キャプテン、死神くん、ハロー張りネズミ、ドラえもん、ブラックジャック。
ユニコーン、バクチク、デランジェ、X、米米クラブ、ビートルズ。
あの頃の無垢な没頭力が少し恋しい。

この子、この本一体何回読んでんだろー。一昨日も同じの読んでたよなー、と思いながら、リビングにあるトランポリンの上にごろごろと寝そべりくつろぎながら読書に励む娘の姿を
いつも微笑ましくもちょっと羨ましい気持ちで眺めている。


ある日突然祖父の部屋から唄声が聞こえてくる。
私が側に駆け寄っても一向に振り向く事なくただ ただまっすぐを見つめて、昭和の歌手 東海林太郎のレコードを流しながら正座で朗々と歌い上げて いる姿を見て、
ああ?じいちゃんの中にも音楽があったんだなーとなんだかとても嬉しい気持ちになった。歌い終わるのを待って色々話そうかと思ってたら、そのまま続けて2曲3曲とずっと歌い続けたのには笑ったけど(笑)。

ある日は国会中継を観ていて、代議士の不謹慎で許し難い発言があったらしく、憤慨した祖父がどこぞの党事務所に抗議の電話をして怒鳴っていた。
気概があって正義感が強く、そして優しい祖父が大好きだった。
毎日のように祖父の部屋に泊まりに行っていた。NHKドラマの『まんが道』も一緒に観ていた。原作漫画が欲しくていてもたってもいられなくなり、
祖父は見つかるまで町中の本屋さんに片っ端から連れて行ってくれた。あの時買ってもらった『まんが道』の愛蔵版。もう30年以上手元に置いてある。

そしてそれを今娘が読みたがっている。少し前に図書館で藤子不二雄や手塚治虫の自伝漫画を読んだらしく。それから娘に『まんが道』という超素敵な漫画があると話している。
お父さんもちょうど小学生の頃初めて読んだんだー。最高にワクワクして心がメラメラと燃えて最高に面白いぞ!しかしちょっと長いし、でもでも一気に読みたくなるから、
せめて夏休みの宿題が落ち着いてからね ー、と約束してある。
だから早く宿題を終わらせて、父の本棚に取りにきてくれ。読み終えて語り合いたい。君の心の中にまた何かドキドキする事が芽生えてくれるのを楽しみにしている。

 

ある週末。夕方になれば少しだけ暑さは落ち着く。外に出て小さな庭の菜園や花々へじょうろを使い雨を降らせる。
3歳の息子がきゅうりを1本引っ張り採り、それを握りしめては台所に立つ妻の元へと嬉しそうに走り出す。こんなほんの一瞬のシーンの愛おしさを強く実感する。

ある種病的か、気付けばスマートフォンをいじっている。多くの場合、ただただ濁流のように流れてくるニュースに憤りとやりきれない気持ちに、心はいっぱいに侵食されてしまう。
平穏は一向に遠く感じられて、日常は実に厳しい。利権に群がる力、まかり通る不正義の山、泥沼のナショナリズム、上がり続ける税金、安い賃金、環境へ蓄積され続ける多くの負荷、
核や原子力 、貧困、差別。自分の子供の時から変わらず解決していない事が山盛り過ぎて愕然とする。社会システムの袋小路と閉塞感はとてつもなく強烈で、
さらに今は様々な情報がより可視化され感じ取ってしまう苦悩も増え続けている。

なるべく深呼吸を心掛ける。出来るだけ見失わないように。
何度でも大好きな事や夢や憧れを思い浮かべてみる。それがたとえ叶わないものだとしても。
スピーカーから流れる一音一音に心を近づける。たった数分間で無敵状態は完成。
憂鬱を踏み潰しては歩み直すを繰り返していく。

そろそろ夏休みも終わる。娘は「『まんが道』貸してーっ」て私の部屋をノックするだろうか。
その時には爆音のパンクロックでお迎えしよう。