ECD : 失われたWANT LIST - 藍 美代子『わたしの四季』 [2013-06-17]

 このコラムでも繰り返し述べてきたように自分にとって和モノを掘るということは歌謡曲で模倣される洋楽の流行を追いかけることだった。もっとも、あくまでもDJプレイで使えるかどうかが主眼だったから、どうせ踊れないだろとスルーしてきたジャンルもある。そのひとつがフォークだ。

 もちろん、自分にとってだけの話でも三上寛のように大きな存在のフォーク歌手はいるし、ちょっと前には日本のフォークが喫茶ロックのようにオシャレな音楽として再評価されるということもあった。僕がスルーしてきたのは歌謡曲の中のフォークである。吉田拓郎らがブレイクしてから一時期、演歌歌手にフォーク歌手が楽曲を提供するということが流行ったがこれも違う。これまでスルーしていながら今回あえてここで取り上げたいのは、従来の歌謡曲の職業作家によって作られたフォーク調歌謡曲である。で、これにも実は二種類がある。ひとつは作詞作曲は職業作家なのだが歌い手はフォーク歌手を名乗っている場合、もうひとつはアイドル歌手等が歌うフォーク調歌謡。

 前者の最初のヒットとしては1966年のマイク真木「バラが咲いた」がよく知られている。当時6歳だった僕はこの曲を耳にしてそれがフォークだなどと認識する知識はもちろんなかったけど、なにかそれまでの歌謡曲にない新鮮さを感じ取ったのはよく覚えている。ジャックスの曲に「ロール・オーバー・ゆらの助」というのがある。ゆらの助は庫之助。「バラが咲いた」の作者、浜口庫之助を強烈にディスった曲である。ジャックスの早川義夫はフォークという自分たちの音楽に浜口のような職業作家がしゃしゃり出てくることが許せなかったのだろう。

 もちろん、歌謡界はそんなディスごときでびくともするわけではなく、シンガーソングライターではないフォーク歌手は続々とデビューしたし、アイドルはこぞってフォーク調の曲でヒットを飛ばすようになる。代表的な曲を挙げるとしたら浅田美代子のデビュー曲「赤い風船」になるのだろうか。ちょっと記憶があいまいだが、ドラマ「時間ですよ」の劇中で浅田美代子はこの曲を屋根の上でアコースティックギターを抱えて歌っていた。「赤い風船」の作曲は筒美京平である。筒美の曲では堺正章が歌ってヒットした「さらば恋人」もフォークというかカントリー調だった。R&Bを歌謡曲化する手腕が高く評価される筒美だが、実はフォーク調歌謡も多く手懸けている。そして、筒美など比べものにならないほどフォーク歌謡ならこの人、という存在が青木望だ。編曲でこの人の名前がクレジットされていればその曲は間違いなくフォーク調だと思っていい。しかも、この人は自作曲を歌う本物のフォーク歌手の楽曲の編曲まで手懸けるのだ。踊れる曲を探していた時期の僕はこの人の名前を見つけたら絶対買わなかったが、その名前を目にする機会もおそろしく多かった。

 どうしてそれほどアイドル歌手はフォーク調歌謡を歌ったのか。ひとつはフォーク調の曲を歌うことで清純派をアピールできたということはあるのだと思う。ダンス・ミュージックはどんな種類だって不良の匂いがつきまとう。

 では、そうしたフォーク調歌謡曲がフォークとしてはニセモノだからといって聴く価値がないクズばかりかといえばそんなことはない。カルメン・マキや伊東きよ子のようなシンガー・ソング・ライターではないフォーク歌手の残した作品が素晴らしいのは言うまでもないが、アイドル歌手が残したフォーク調歌謡にも聴くべきものはある。それを証明してくれのが今回取り上げた藍 美代子の『わたしの四季』(ワーナーパイオニア / L-6092W)である。例によって某店で「ベリーナイス」の評価につられて購入した。その時点で藍 美代子という名前に記憶はなかった。しかし、針を落としてみて一曲目の「ミカンの実る頃」にははっきり耳に憶えがあった。この曲が彼女の唯一のヒット曲である。このアルバムは2曲目に「ミカンの実る頃」のシングルB面曲が収録されている以外は全てカバーである。そのうち「悲しみは駆け足でやってくる」「あなたの心に」「忘れな草をあなたに」といった収録曲は「ミカンの実る頃」と同様、聴けば当時の空気感までよみがえるほど耳になじんだ曲なのだが、原曲を歌う歌手の名前も顔も忘れてしまっている。曲の良さだけで自分の中に残っているのだ。他にこんな風にフォーク歌謡というコンセプト(?)で統一したアルバムを聴いたことがあるのは岩渕リリの『あなたを夢みて/サルビアの花』くらいだろうか。それよりもいいアルバムです。