ECD : 失われたWANT LIST - 堺 正章『サウンド・ナウ!』 [2013-09-23]

 藤圭子の訃報を伝えるテレビ報道で、「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットした1970年にはそれらのシングルだけでなく、収録したアルバムも当時としては異例の売り上げを記録したということを知って意外に思った。

 1970年当時の歌謡界はまだまだシングル中心で、アルバムはシングル・ヒットの余波で熱心なファンが手に取ってくれればよいという程度のものでしかなかった。そもそも、シングルは出ていてもアルバムは出ていないという歌手が圧倒的に多かったし、アルバムが出ていてもそこに収録されているのはヒットしたシングル曲の両面と、あとは他の歌手のヒット曲のカヴァーというのがほとんどであった。藤圭子のアルバムも例外ではないが、それでも売れたのは藤圭子という歌手のインパクトの強さ故だろう。 

とにかく、この頃の歌謡曲のアルバムは誰が聴いても聴いたことのない曲というのは入っていない。制作する側は聴いたことのない曲を聴きたいがためにレコードを買う層の存在を想像もしていない。 

 ところが、既にロックやフォークの世界はアルバム中心になっていて、そこではもっと沢山のオリジナル曲、つまり聴いたことのない曲を聴きたいという新しい音楽ファンの欲求に応えていた。そんな変化が歌謡曲の世界にまで及ぶのはいつのことだったのか。

 僕自身がリアルタイムで初めて歌謡曲のアルバムを買うようになったのは80年代に入ってからのことだ。松田聖子のアルバムを出れば買い、坂本龍一が参加していると聞いて伊藤つかさのアルバムにも手を出したのだが、この頃のアイドルのアルバムはほぼ全曲がオリジナルで占められるのが当たり前になっていた。シングル・ヒットがなくてもアルバムをリリースするアイドル歌手も珍しくなかった。そうなって初めて僕のようにロックを入口にレコードを買うようになった層も歌謡曲のレコードを買うようになったし、これはそのための戦略でもあったかもしれない。 

さて、そこで今回紹介する堺正章の『サウンド・ナウ!』(日本コロムビア / COCP-38118)なのだが、これが1972年のリリースにして全曲オリジナルで占められた正真正銘の"アルバム"なのだ。作・編曲全て筒美京平、プロデュースも筒美京平である。筒美京平は歌謡曲の作曲家に違いないがGS出身の堺を歌謡曲の歌手と呼んでいいかという疑問もあるかもしれない。しかし、当時のタレントとしての堺の活動からすれば少なくともロック・シンガーとは呼べない、ポップス・シンガーならしっくりくるだろうか。いや、そもそも僕はロック・シンガーやポップス・シンガーが歌謡曲歌手より上等だなどと考えていない。僕はこのアルバムで堺を敬意を込めて歌謡曲歌手と呼びたいし、このアルバムを歌謡曲のアルバムとして評価したい。1972年というこの時期に全曲書き下ろしという歌謡曲のアルバムが他にどれだけあったのか。 

 実は他でもない筒美京平全作編曲のアルバムが同じ1972年にもう一枚リリースされていて、それが伊藤ゆかりの『ふたたび愛を』である。これもソフト・ロックの名盤としてよく知られた作品だけれど、『サウンド・ナウ!』が全曲書き下ろしなのに対して『ふたたび愛』には筒美京平が他の歌手のために書いた曲のカヴァーも含まれている。この二作の共通点はヒット・メイカーとして知られる筒美京平が手懸けたアルバムなのにシングルヒットした曲が含まれていないということである。今でこそ、ゆるぎない評価を得ている二作品だが当時のセールス、評価がどのようなものだったかはやはり気になる。 

 うちにあと二枚、筒美京平が全曲作曲を手懸けたアルバムがある。『HIROMIC WORLD』郷ひろみ('75年)と『TWENTY/MAKO-6』石野真子('81年)の二枚だ。どちらにもやはりヒット曲は入っていないが内容は素晴らしい。手元にあるガイド本には他に『こけてっしゅ』太田裕美('77年)、『パンドラの小箱』岩崎宏美('78年)が全曲筒美京平による名盤と紹介されている。未聴なので探してみようと思う。 

 最後になってしまったが『サウンド・ナウ!』は和製R&Bのアルバムとして僕の知る限りこれを超えるものはないといえる一枚である。筒美京平の作品の中でも今のところこれが一番好き。ところどころ堺 正章がジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンに聴こえるのだ。