ECD : 失われたWANT LIST - 水橋春夫グループ『考える人』 [2015-04-01]

 CDの帯文にはこうある。


「48年の時を経て解き放たれる、元ジャックスの水橋春夫によるソロ・アルバム」


 そう、水橋春夫はジャックスのギタリストだった。リード・ヴォーカルをとっている曲もあるし、作詞作曲を担当した曲もある。本作にも収録されている「時計をとめて」は水橋春夫の作詞作曲、そしてジャックスの代表曲のひとつでもある。

 僕はこれまでジャックスについての文章は随分書いてきた。しかしその時僕の頭の中に第一にあったのは早川義夫のことだった。これまでジャックスについて書いた文章のほとんどはジャックスのことを書いたつもりが早川義夫のことしか書いていなかったが、それだけ僕は早川義夫が好きだった。そのことを今更否定しても仕方がないが、実際にはジャックスは早川義夫のワンマンバンドではなかった。

 今回、このコラムを書くにあたって'09年に早川義夫のライブに水橋春夫がゲスト出演した時の動画を観てみた。そこでは当然ジャックスの曲が何曲も演奏されていたが、そこで初めてわかったことがあった。今までレコードを聴くだけでは早川義夫がリード・ヴォーカルを取っていると思い込んでいた曲が、ワンコーラス目は早川義夫だが2コーラス目は水橋春夫が歌っていたりするのだ。ジャックスは2枚のアルバムを残している。その2枚目のアルバム『ジャックスの奇蹟』を僕は好きではなかった。それは『ジャックスの奇蹟』で早川義夫が歌う曲が少ないせいだと長年思っていたが、これも実は違った。2枚目で早川義夫の声が聴こえないのは確かだが、1枚目でグループを脱けた水橋春夫の声もギターも聴こえないのが2枚目なのだった。そんな『ジャックスの奇蹟』に比べたら、ジャックスのベーシスト谷野ひとしもメンバーである水橋春夫グループによる『考える人』(セシリア E / CEE-101)の方が余程ジャックスなのだ。1枚目の時のジャックスから水橋春夫ではなく早川義夫が脱けたのが水橋春夫グループだと言ってしまってもいいくらいだ。本人達にもそういう意識はあるのではないか。レコーディングを通して参加したドラマーがメンバーに含まれていないが、亡くなったジャックスのドラマー、木田高介をメンバーに迎えたかったのではないかと深読みしてしまう。
 

一曲目「考える人」にこんな一節がある。


 ロマンチックな時代に

 テロリストになれずに

 センチメンタルという火薬を抱きしめ


 この曲自体は中年男性の感覚を描いたものだが上の一節はジャックスで活動していた当時の心情を思わせる。こんな一節もある。


 明日起きたら 世界が変わればいい

 壊れてしまえ ひたすら願うけど


 こんな思いを水橋春夫はこの48年間抱き続けてきたのだろうか。僕にはそうは思えない。音楽を始めたことでこうした激情がよみがえったのではないかと想像する。ほとんどの曲の歌詞で描かれているのは現在の心情とそして過去、それもおそらくまだ音楽をやっていた時代の若き日の水橋春夫を想像させる内容になっている。音楽をやっていなかった40数年はまるで無かったことのようにされている。空白なのだ。現在の水橋春夫とつながっているのはジャックスのメンバー時代の本人だけ。そう感じさせるのは歌詞だけではない。サウンド、特にギターだ。48年の時間の経過を一切感じさせない音なのだ。水橋春夫がこの48年間、細々とでも音を出していたらこんな音にはならなかったのではないか。音は出し続けていればいやでもアップデイトする。その積み重ねが音に表れる。しかし、ここにはそれがない。空白が冷凍保存したのだ。何曲かある恋愛をテーマにした曲もそうだ。音楽をやめていた間には殺していた感情が音楽を始めたことでよみがえったように聴こえる。
 

 48年間もの空白を埋めようとせずそのまま空白として表現したのがこのアルバムなのだと思う。こんな例はあまりないだろう。水橋春夫はジャックスを脱けた時に時計を止めたのだ。そして今また時計は動き始めた。そういうことなのだと思う。