ECD : 失われたWANT LIST - 古家杏子『冷たい水』 [2016-03-19]

 和モノも最近はガイド本が何冊も出て、それらに掲載されていない作品で「これは!」と思うようなものに出会うこともまれになってきた。そんな中、久々に自分で発掘した作品として自信を持って紹介できるのが本作(日本コロムビア / YF-7038-N)である。

 '81年の日本でスライ&ロビーが参加してからのグレイス・ジョーンズとドクター・バザーズ・オリジナル・サバンナバンドに肉迫したサウンドを記録したレコードがあったらしい、とウワサに聞いてもこのレコードを聴く前の僕だったら半信半疑だっただろう。あったとしてもどうせ上っ面だけなぞっただけのツマらない内容だろうとたいして期待もしなかったと思う。しかし、そんなレコードが本当にあったのである。それが本作だ。

 中古盤店に行くと去年ぐらいから和モノのレコードに「サバンナ歌謡」とコメントされた盤が目につくようになってはいた。たしかにキッド・クレオール&ザ・ココナッツ(サバンナバンドはその前身)は日本で大人気でそのメンバー、コーティ・ムンディが出演したテレビCM('83年)もあったくらいなのだ。米米クラブのコンセプトがキッド・クレオール&ザ・ココナッツだったというのも有名な話だろう。だからそのサウンドを模した歌謡曲も多数作られた。それにしても本作は早い。もっともそんな曲は2曲だけではあるのだが。本作の全体のムードを決定しているのはスラロビのグレイス・ジョーンズの方である。そのサウンドは当時の自分にとっては他のどんな音楽より"新しさ"を感じさせるものだった。レゲエにアプローチした日本のアーティスト自体は珍しくはなかったけれどもスラロビのあのクール過ぎるサウンドを取り入れるのは歌謡曲では冒険だっただろう。和モノでスラロビを感じるのは'83年の『忍隊レゲエ』くらいだろうか。

 では本作でのクールなレゲエ・サウンドは一体誰が仕掛けたものなのだろうか?参加ミュージシャンのクレジットに千野秀一の名前がある。千野秀一といえば白竜のアルバムでやはりレゲエを取り入れたサウンドにチャレンジしていたのを聴いたことがあった。しかし、そこでのサウンドは本作に比べるともっと混沌としたもので本作の最大の特徴である音数の少なさとは異質だった。そう、本作に針を落として驚いたのがそこだった。A面1曲目『晴海埠頭』はレゲエでもサバンナでもない。BPM98のやたらと重い8ビート、ほとんどドラムしか聴こえないトラックの上に歌が乗っているだけ。ヒップホップリミックスのR&Bみたいなアレンジなのだ。

 さて、それほど独自で最先端サウンドの上で歌っている古家杏子という歌手がどんなひとなのか。これがネットで検索してもなかなかそのプロフィールにたどりつけなかった。やっと見つけたのが以下である。

「シンガーソングライター&ピアニスト、国立音楽学校ピアノ科卒業後、ヤマハポップコンでめぐり会った、女優水沢有美と、女性デュオ『乙女座』でデビュー。また伝説のフォーク歌手、友川かずきのピアノとしても約10年活動。その後、古家杏子としてソロアルバム『冷たい水』をコロムビアレコードから発売(後略)」

 本作を聴いたあとでこのプロフィールを読んで僕はまたわけがわからなくなった。全く本作のサウンドが志向するところとつながらない。しかし、それで納得した部分もあった。サウンドがレゲエでも古家杏子の歌唱にはレゲエを意識した形跡が皆無なのである。久保田利伸がその初期にレゲエを演ったナンバーがあるが「ヨーヨーヨー」というベタ過ぎる合いの手を入れていてズッコけたことがある。古家杏子にはそういうところが一切ない。そうかと思うと本人作詞による歌詞、特にA1『晴海埠頭』B1『東京』での都市の風景描写は冷たく荒涼としたサウンドにピッタリ寄り添ったものになっている。だから唱法がレゲエを意識していなくても異和感はない。いや、この歌詞だったら下手にレゲエを意識したほうがチグハグな出来になるだろう。古家杏子はサウンドに負けずに耳に残る歌詞が書けるひとなのだと思う。ちなみに僕の耳に残ったのはA5『メモリー』の次の一節だ。


 追憶(おもいで)の店が多過ぎて

 これじゃ飲みにも行けやしない


 最後に、本作のドラムは村上PONTA秀一である。もちろん、僕が聴いたことのあるPONTAさんの参加した楽曲などその膨大な参加曲のうちほんの少数だろう。あくまで僕が聴いた中でと断って言わせてもらえば、僕は本作でのプレイが一番好きです。