ECD : 失われたWANT LIST - 加藤有紀『ラブ・ポーション』 [2016-05-29]

  「あの曲はあの有名曲をパクっているらしい」そんな情報を知って、そんな曲なら聴かなくていいや、と思うのではなく、わざわざ自分のウォント・リストに入れそれを探すことに地道を上げる。DJというのは純粋な音楽ファンからしたら随分とよこしまな興味で音楽に接している人種に見えるかもしれない。

  僕が「ECDのロンリー・ガール」でサンプリングした佐東由梨の「ロンリー・ガール」を当時の自分のウォント・リストに入れたのもある歌謡曲ガイド本でこの曲がマーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」を下敷きにしていると紹介されているのを読んだからだ。その後見つけた佐東由梨の「ロンリー・ガール」にはそれなりの価格がついていた。だが思い切って買ってみた。しかし、針を落としての第一印象は「うわ、大枚はたいて損した」だった。たしかに「セクシャル・ヒーリング」ではある。しかし曲が表現している世界感には「セクシャル・ヒーリング」のカケラもないのである。筒美京平作品には他に石黒ケイの某曲がやはり同じような作風だった。値札の解説に「ボブ・マーリーの某曲ネタ」と書いてあって買ってみたのだ。これもたしかにパクってはいるのだが世界観は全く違う曲だった。楽理的にはパクっても曲の世界観はパクらない。これは筒美京平の良心のあらわれなのだろうか。

  ところがDJがパクり曲に求めているのはそんな良心的な(?)パクりではない。山下達郎の「甘く危険な香り」とカーティス・メイフィールドの「TRIPPING OUT」の類似(山下達郎本人はパクりを否定している)、これこそがDJが求めているものだ。

  そして、DJのそんな欲求に見事に応えてくれるのが今回紹介する加藤有紀のミニ・アルバム『ラブ・ポーション』(トリオ / 3B-18001)A面3曲目に収められた楽曲「Shyに愛して」である。この曲、ズバリ、INDEEPの「LAST NIGHT A DJ SAVED MY LIFE」なのである。といってもカバーではない。のっかている歌のメロも歌詞の主題も違う。しかし、バック・トラックはイントロの長さから始まってその後の展開、ほとんど同じ。原曲よりは短かいがラップ・パートを意識したようなヴォーカル・パートまである。特筆すべきなのはその音質、特にドラム。そこでの忠実な再現度の高さ。パクリものの中でこの曲ほど音質にフォーカスを絞ったものを他に知らない。制作者はこれをパクるなら音質も再現しなければ意味がない、と明確に意識していたとしか思えない。つまり制作者のセンス自体がDJ的なのだ。本作、クレジットがなくてリリース時がはっきりしない。83年3月リリースの前作のインフォメーションが帯や歌詞カードに印刷されているところから見てやはり同じ83年中か、遅くても84年のリリースと思われる。83~84年といえば、まだDJという呼称はラジオで曲紹介するほうを思い浮かべるひとが圧倒的に多かった時代である。そして、本作自体は「Shyに愛して」の他の5曲はクラブを意識したダンス・ナンバーというわけではない。鈴木慶一を編曲に起用したA1をはじめクラブというよりは当時流行っていたカフェ・バーでかかることを意識したようなオシャレなニューウェイブサウンドなのである。ただ、その当時は丁度、カフェ・バーからクラブへと流行が変わる時期でもあった。だからこのミニ・アルバムの中に「Shyに愛して」のような曲が入っているのも時代を反映していると見ることはできる。とはいっても当時のクラブで代表的なのはピテカントロプス、そこでの主役はまだDJではなくライブだった。それでもそこに出演するごく少数の最先端のアーティスト達から発信される音だけが時代をリードしている。そんな時代だった。

  加藤有紀の本作はそんなシーンの外にあって独自に最先端にチャレンジした冒険作とも言える。一枚目のシティ・ポップ路線からどうしてこうなったのか。



  ところで「昨夜あるDJが私の人生を救った」というタイトルは83~84年当時どう解釈されたのだろう。DJをラジオのDJとして意味を取ろうとするとラジオ全盛だった時代へのノスタルジーになってしまう。しかし、そうでないことはサウンドを聴けば明らかだ。なにしろビデオがラジオスターを殺したと歌う「ラジオスターの悲劇」のヒットからももう何年も経った時代である。クラブのDJとするとまだまだその存在自体日本では広く知られていない。「Shyに愛して」が「LAST NIGHT A DJ SAVED MY LIFE」のカバーではなくこんな形になったのも無理はないのかもしれない。