マヒトゥ・ザ・ピーポー : マヒトゥ・ザ・ピーポー: 第二回「平成の破損した劣化」 - [2019-05-18]

追悼が相次いでいる。
死ぬということは生きていたことの証明だから、そういうことなのかもしれないけど、いまだに初めてのことのようにしっかり動揺する。自分が死んだ時も、顔も思い出せない知り合い風の輩がもっともらしい美談を書いたりして、二、三日間盛り上がったのち何事もなかったように忘れていくのだろうか。

遠藤ミチロウさんが亡くなった。
生前、何度か同じ現場があり、さらには何年前だったかGEZANと一緒に"STOP JAP"を演奏したのは、その瞬間もそうであったが今でもやはり貴重な時間に思える。これは別にその美談でもなんでもないが、本番のアレンジでBPMを途中で半分以下にし、ビッグビートに落としたのだが、あとあと自分の曲を「あれは誰の曲なの?かっこいいね」とおっしゃっていて、驚いたのを覚えている。ミチロウさんにとってはあの速さも含めてパンクだったのだろうか。
よく言われることだが、普段の物腰は柔らかく、肉を客席に投げていたスターリンのステージのイメージとは違い小柄だった。しかし、アコギ一本でステージに上がるときでもメイクアップしていた。いつでもパンクスとしてのスイッチを入れて音楽と向き合っていたように思う。

わたしはそこまでスターリンに傾倒していたわけではないし、石井聰亙監督の映画『爆裂都市』なんかを見てもジェネレーションギャップを見せつけられているようで、後追いでハマることはできなかった。むしろ石井監督が現代のパンクとして、bloodthirsty butchersを起用して『ソレダケ』という映画を撮ったことの方がリアリティがあり嬉しかったのを覚えている。

あらためて遠藤ミチロウさんの作品を聞いてもオリジナルのパンクだと思う。今もその言語感覚、言葉のチョイスはフレッシュだし、湿り気のある過剰な西洋コンプレックスへの解答は、極東島国のオリジナルでしかない。
この感性はそのまま時を経て、その一部はオタクに代表されるインターネットの世界のゆがみへと共振していて、表層を衣替えしながら独自のアイデンティティを獲得している。しかし、その昔、パンクで発散されていたであろうモヤモヤや、オタク文化に馴染めないものを許容するキャパシティがもう今のサブカルチャーにはなく、行き場を失った得体の知れない感情はインターネットの海を淀みながらぐるぐるさまよっている。その言葉に思い入れもなく、どうでもいいから言うが、パンクは終わったのだろうと、スターリンを聞いていて思う。むしろクラブミュージックにいる人たちの方が、感度よく、時代のうねりと共鳴しながらレベルミュージックを作っているのは間違いない。

今日のパンク的な感覚はどこにあるのかと考えてみたけど、それを考えるには荷が重く、というか、なんかバンドシーンの負な現状とか考えていたらbad入ってきて、書くのもだれてきて、休憩がてら最近手に入れたミツメの新譜『Ghosts』を再生する。すると、不思議となんだか一つの今日的な解答のようにも思えてきた。日常の妙な歪みが、歪みのまま、グッドミュージックに絡まっている。口の中で砂利を噛んだ気がしたけど、警戒しながらそのまま美味しいランチを食べてみたら、もう二度とは砂利がこなかったみたいな。ああ、これ全然うまい例えじゃないか。
わたしたちの生活には各箇所に違和感が散りばめられてあるが、生活をうまく進める上でないものとして過ごしている。自然とそれを避ける能力は高まるが、ミツメの『Ghosts』はその不完全さを許容している。綺麗なそのスナップの脇にいびつなものが写り込んでも、トリミングせずにそのまま活かしているような。演奏もうまく、静観な足取りに思える分、その瞬間的なアンバランスさがオルタナティブで鋭角さを際立たせている。変態だ。

それがイコール、パンクなのかと問われたら、知らないですと答えるけど、少なくとも整頓されて混在を許さない音楽は今の時代の音楽ではない気がする。世の中は混乱し、クソ政権はこれだけ狂っているのだから、それはもう倍の倍壊れないとチューニングが合わない。そのチューニングの振れ幅はどうであれ、ドロップさせる感覚がパンクなのかも知れない。知らんけど。

そういえばHARD CORE DUDEの幽閉くんから新譜のリンクをもらったなと思い開いたら、しっかりリンクの壊れたデータで、再度、送り直してもらう。ダウンロードした"Heisei Corrupted Deterioration"は何故かめちゃくちゃデータが軽くて、速攻ダウンロードが完了して、流れ始めたシンセの胡散臭さに腰を抜かしつつタイピングしている。平成の破損した劣化とは的を得たタイトルだ。誰が言ったか25年の歴史の重みを微塵も感じさせないのは凄すぎる。ベースをエンジニアがミュートしているデータでは?と疑いたくなるほど物理的に低音がなさすぎて、まるで全盛期のトランスのように疲れない良さがある。そういう意味でこれからの夏にちょうどいいかもしれないけど、これを一緒に聞いてくれる女の子は絶対バカだ。圧倒的な軽さで進行していく展開に心を乱されるでもなく、まるで、軒先の胡散臭い服屋から漏れてくるレゲエのようにただただ無意味で、なのに聴き終わった後、お茶を飲んだ後くらいにはほんの少しほっこりしていた。
なんか今日もいい日になりそうだ。晴れてきたし。いい夏にしたいよね。