mei ehara : mei ehara : 第一回『ここを離れて戻ってくる』佐渡編 - [2018-12-21]

この度、JET SETさんのサイト内でコラムを連載させていただくことになりました、江原茗一ことmei eharaです。どうぞよろしくお願いします。
本コラムに、着地点はないかもしれません。ライブ遠征や個人的な旅先で書き留めたメモ、撮った写真などを元に、加筆・編集したものを公開して参ります。ですから、日記のようなものと思っていただいて、できればその土地に行きたいと思ってくださったら光栄です。


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2018年7月中旬、佐渡島(カフェ日和山)・新潟(北書店)の2箇所で、井手健介と共に2日間に渡る弾き語りライブを行った。年に2度も、しかもたった3ヶ月後に再び訪れることになるとは、それまで心底考えもしなかったが、私はその夏の遠征で、佐渡という場所がとても気に入った。

新宿発の夜行バスに乗り、翌朝新潟万代島フェリーターミナルに到着。初めて訪れた時にも感じたことなのだが、私はこのフェリーターミナルが好きだ。暗く縦長の喫茶、大きな窓のあるがらんとした待合室。天井から吊るされたチープな朱鷺の模型。練習試合に向かうジャージ姿の団体学生や、作業着の男性たち。移動手段としてフェリーを利用する地元の人々の存在が目に留まる。
それらが私の旅の意気込みを穏やかにし、元いた生活からゆっくりと引き剥がしてくれるようで、なんとも心地が良い。


(フェリーターミナル内の資料館)

銅鑼の音(録音の)を合図にフェリーは出航する。今度のフェリーはよく揺れた。やっぱり冬に近づくと日本海側は荒れてくる。佐渡島までおよそ2時間。皆横になったり、円形の窓の外をぼんやりと眺めたり、会話をして到着を待ち、私たちも二等室の雑魚寝エリアで過ごした。この二等室が良い。皆一様にだらーっとしている。
夜行バスで十分な睡眠を取れなかった恋人と友人らは眠ってしまい、ノートを肩掛けに入れ、何か見たこと聞いたことを書きとめてみようと、船内をうろうろ徘徊することにした。
デッキでは、無数のカモメが差し出されたエサめがけて飛んでくる。はしゃぐ乗客と流れて行く景色をしばらく眺めていると、隣で「ねえねえ」としつこく母親に話しかけていた(母親は景色を撮影するのに夢中)小さな少年が、「この鳥はどこに住んでいるの?」と聞いた。
野生の鳥がどこに住んでいるのかは、私も時々気になる。今年、短編小説「土鳩」を執筆するきっかけとなったのも、彼と同じような疑問をもったことからだった。少年に話しかけてみようかと迷っている間に、母親は「この辺でしょ」と適当な返事をして、少年の手を引き船内へ戻っていってしまった。私が母親だったのなら、そんな風には決してしたくはない。

船内にはイベントホールがあり、地元の人の話によると、新潟のご当地アイドルがコンサートを行うこともあるという。そこへ行って、椅子に腰をかけた。あるのはいたって普通の、ちょっとしたステージなのだが、ここで船上ライブをするというのも面白そうだ。2時間もあれば十分ライブができる。
小さな子供が走りまわって騒いでいる。よく揺れて、歩くだけでもよろよろだというのに。器用な。ステージを使った高鬼がはじまった。
しばらくそこに座って、子どもの様子を見たり、船内の様子や頭の中の独り言をメモしたり、スケッチなどをしていると、隣で同じように腰をかけていた老婆が、旦那らしき老爺にむかって「帰ってこられて良かったねえ」と言ったのが聞こえた。どこか旅行の帰りだろうか。あるいは、離れていた佐渡に帰っているその途中なのだろうか。二人の言葉を聞いて、私も「また来られて良かった」と、改めて思う。


(船を追いかけて来るカモメたち)

佐渡についてからの主な移動手段は車だ。以前は小さな離島とばかり思っていたが、実際佐渡という島は東京23区よりも大きいらしい。車で移動をするにも、それなりの時間がかかる。そのことに我慢ができない人もいるだろうが、私は島内の移動に時間がかかることにも、その道が混雑しておらず悠々と前へ進んでいくことにも開放感を感じる。
窓を開ければ、山と海の混じり合って澄んだ香りが車内に流れ込んでくる。冬になれば雪も降る。地面に対して平行に広がる背の低いおけさ柿の木に雪が積もれば、さぞ綺麗だろうに。
ドライブの面白さは、最近になってわかりはじめたかもしれない。私自身はペーパードライバー(ゴールド)なので、のんびり後部座席に乗っているだけなのだが……。

佐渡には、喫茶店が多いような気がする。両津港の周辺はこじんまりとした商店街があり、そこ一帯だけでも喫茶店が何店舗もある。
小腹が空いて、「再会」という喫茶へ向かった。壁一面が本棚になっており、店主のセレクトだろうか、本がびっしりとおさめられている。ランチまでのセットがとても安く、満足のいく量で美味しい。東京なら安くてプラス500円はするはずだ。時々、東京で暮らしていることが馬鹿らしくなってくる。
佐渡島中の喫茶店を巡ろうとする旅も面白いかもしれない。
一服を終え、私たちは「佐渡金山」へと向かった。金山も2度目。江戸時代から平成元年まで続いた金鉱で、現在は観光地で稼働はしていない。周辺の関連施設は史跡となり、中でも地形を利用した北沢浮遊選鉱所は、コンクリート建築に蔦が這い、まるで外国のような佇まいで人気観光スポットだ。夜間はライトアップもされる。
金山の坑道は寒く湿っぽい。見学坑道の中では、沢山のからくり人形が延々と同じ作業を繰り返す。佐渡金山には、象徴的な〈二つに分裂した山〉がある。自然に分裂したのではなく、金脈を掘り進めたことによって崩れ落ち、分裂してしまったらしい。そこに生き埋めになったままの人々もいるとか。「お金とは」ということを考えざるを得ない。


(右:「早く外に出て、酒が飲みてえ。馴染みの女にも会いてえな」さん)


(ライトアップ前の北沢浮遊選鉱所)

この金山で私が最も気になっているのが「やわらぎ」という神事芸能。山の神に敬意を払い、危険な採掘作業の安全、鉱脈が軟らかくなることを祈るための祭礼だ。
この祭礼の装いがとても面白い。紙製の鼻切面とムカデ模様の袴をつける。この鼻切面が、長崎の「にわか煎餅」についてくるものとそっくりで、何故これをつけて祭礼をおこなっているのかどこを調べてもわからない。気になって仕方がないので、どなたか有識者の方がおられましたら簡単に教えてください。

観光の後はゲストハウス方面へ戻り、佐渡産の野菜や佐渡乳業の酪農食材を使用したイタリアン「Un Grand Pas」へ。この店は、佐渡へ奥田民生を呼ぼうと署名を集め、熱意で民生を呼んだ飲食店なのだという。そういう飲食店が佐渡にあるという話は夏に聞いていたのだが、そのことよりもなによりも、料理がどれも素晴らしかった。佐渡はどこで何を食べても美味しい。

実を言うと、今回の再訪には目的があった。佐渡市の最南端にある町・宿根木で、年に2日間開催される鎮守の祭り、その演目のひとつ「ちとちんとん」を見るということだった。
ちとちんとんとは、「ちとちん」という名の男が木製の男根を振り回し、「とん」という名の娘と共に舞うお囃子で、男根を振り回す男と娘というだけに、性行為が誇示されたものではあるが、五穀豊穣や安全祈願を祈る伝統芸能の演目なのだ。私たちはこれをひとつの目的に、めがけて佐渡にやってきたのだった。(どんなものかは是非実際に行って見ていただきたいが、動画サイトなどで見ることもできる)
ちとちんとんがいよいよ始まるという前に、祭り関係者が「子供は来るなよ」と声高に言っていたのが可笑しかった。子供たちが振る舞いのお菓子やジュースに夢中になっている間に、ちとちんとんは始まった。





(ちとちんとん)

ちとちんとんのほか、「鬼太鼓(おんでこ)」や獅子の練り歩きも行われる。特に鬼太鼓は、ちとちんとんと同様に見たい芸能のひとつだった。ただ、宿根木で行われた鬼太鼓はちびっこたちによるもので、少々想像と違っていた。
というのも、後にわかったことで、鬼太鼓は島内に100を超える組があり、内容が異なるなど、様々な流派が存在するようだ。それは知らなんだ。
今回見た鬼太鼓は、子供たちのステップや太鼓のリズムが独特で(それも流派によって異なるのだろうか) 、しばらくの間そのリズムが頭から離れなかった。「豆まき流」というものかもしれない(殻に入った落花生を撒いていた)。あるいは、鬼太鼓と思っているものが鬼太鼓ではなかったのか……。

振る舞い酒をいただき、「はんぎり(たらい舟)」を体験。佐渡では様々な場所ではんぎりに乗ることができる。
宿根木のはんぎりは格段と良いと思う。宿根木海岸は、海底火山から噴き出した火山灰や岩が隆起し形成された海岸で、奥まで進んでいくと火星のような不思議な場所がある。佐渡の自然を感じながらはんぎりに乗りたいのなら、ここは特別かもしれない。おすすめしていきたい。
最近では、木製ではなくプラスチック製の舟が増えているそうだが(どの工芸民芸にもそういったことが起きていることに悲しくなってしまう。毎年私が購入しているだるま職人の顔がよぎった)、宿根木は木製だ。その場に舟を作っている職人さんがいたが、現在はその方ひとりだけのようで、彼が作れなくなってしまったらおしまいだと、私たちの乗るはんぎりを漕ぐ男性が教えてくれた。


(はんぎり乗り場)

佐渡を去る前に、大崎の蕎麦屋「ちょぼくり」とドーナツ屋「タガヤス堂」へ立ち寄った。ちょぼくりは、夏にライブをした際お世話になった女性が働く蕎麦屋。落ち着いた木造の店内には、佐渡の民芸品や書籍が並んでいる。
お待ちかねの蕎麦は、アゴだしの蕎麦つゆ。ついてくるちょっとした小皿も美味しい。
この地域には、「大崎そば」というものが郷土料理としてあるようで、ちょぼくりは「大崎そばの会」が母体となり、2007年にオープンしたという。そして、同じ場所にあるタガヤス堂。こちらのドーナツも、夏のライブでいただいてしっかり味を覚えていた。素朴な味で、いくつでも食べられる危険な食べ物。
食後に、コーヒーと揚げたてのドーナツを食べながら、私たちはそこでのんびりする。
ドーナツを求めてお客さんがひっきりなしにやってくる。山道の途中という、わざわざ行くには少々面倒そうな場所にあるものの、こうしてドーナツを買いに人が集まって来るというのは、何だか良い。その光景を眺めているだけでも満たされ、可愛らしく思う。
私も、プレーンドーナツと砂糖がまぶされたドーナツをふた袋も購入してしまった。

確か祖母の故郷が新潟だった。今は、親友のひとりが新潟で暮らしている。いずれまた行くことはあったとしても、ここまで新潟や佐渡が好きになるとは思っていなかった。少し縁があるのかもしれない。NGT48の高橋真生さんという方の個人PVで、かなり古いものだが私の曲を使用してもらったことがあったのも思い出した。
佐渡から東京に帰り、魚焼きグリルで両面焼いたタガヤス堂のドーナツを朝ごはんに、金山で購入した朱鷺形の耳かきで耳をかき、宿根木で購入した新米と梅干しを少しずつ消化して、佐渡づくしが続いている。

<おまけ話>
佐渡にいる間、小学校時代の同級生から「今年は会おうよ」と連絡があった。「ああ、そうしよう。土日は難しいけれど」「今は佐渡に来ています。旅行でね」と返事をして、会う日程も決まり、その日が近づいた先日の話……。
約束の日に予定が入ってしまい、「急だが明日ならなんとか時間が作れそうだ」と予定の変更をお願いすると、了承してくれたものの、しばらくして友人から「今から佐渡に行くわ!」と連絡があった。「ずいぶん急だな」と少しだけ違和感はあったのだが、忙しかったこともあり私は特に質問せず、「今回は会えなくて、彼女は旅行に行くのだな。申し訳ないな」と思った。
夜になって、「ついたかい?」とメッセージをすると「新潟についた」「今日はホテルに泊まって、明日の朝フェリーに乗る」「ついたら色々案内してね」というので、ここまできてやっと、本当におかしいことに気がついた。友人は、私が佐渡に住んでいると勘違いをして、新潟に行ってしまったらしい。
とんだ勘違いが起きてひとりの古い友人を佐渡に行かせてしまった。仕方がないので、観光して「身を清めてくる」と言っておりました。

 

夏に佐渡へ行った際、井手健介と佐渡のカフェで演奏した松任谷由実のカバー"NIGHT WALKER"をSoundCloud上で公開しています。