HARCO『ゴマサバと夕顔と空心菜』ドイツ・カッティングスタジオ・ルポ - [2016-07-31]

 京都を拠点とするレコードショップ「JET SET」の協力のもと、2015年4月に発売したアルバム「ゴマサバと夕顔と空心菜」が、このたびアナログレコードとして再発売(2016.7.29発売。発売日が何度も遅れてしまって、すみませんでした)。僕のキャリアの中では初めてのアナログ盤リリース!

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 カッティングはドイツのフランクフルトにある「SCHALLPLATTEN SCHNEID TECHNIK」というスタジオで行われるとのことで、レコード制作の現場を間近で見てみたかった僕は、今年の3月、急遽ドイツまで見学に行くことにした。なかなかカッティングの依頼だけで現地まで行く人はいないので、向こうの方もさぞかし驚いたのでは。しかも予備知識さえ乏しい状況だったので、まったくのゼロから教えていただくことに。

 ここからお届けするのは、アナログ盤特典としてインナージャケットに書いた「ドイツ カッティングスタジオ・ルポ」には掲載しきれなかった、カッティングエンジニアのダニエル・クリーガーさんとの会話を中心にした「ルポ その2」。かなり専門的な記述も多いけれど、なかなか前例のないこの機会を味わうだけでもいいので、ぜひご一読を!

翻訳&通訳:蓮ますみ(英語Ver.はこちら

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---SCHALLPLATTEN SCHNEID TECHNIK(以下:SSTスタジオ)の代表取締役であり、カッティングエンジニアのダニエル・クリーガーさんの名刺の裏にはなんと日本語表記が。日本のクライアントがたくさんいるということですか?

「比率としてはそれほどたくさんではないのですが、これから実際に製作する、レコードの元となる『ラッカー盤』の原材料を日本の会社から輸入しているので、ビジネス面での重要度が高くなっています。その会社はMDCと言って、東京にオフィスがあり、工場は(標高の高い)高原にあります。原材料づくりには、きれいな空気が大切です。だからこそ彼らの製品はとても品質が良いんです。以前一度だけ日本を訪れたことがありますが、とても美しいところですね。」

---レコードは一時期CDに押され気味でしたけど、また需要が伸び始めましたね。

「そうですね。1998年から2008年くらいまでのあいだは、ダンスもの、いわゆるテクノのレコードしかカットしていませんでしたが、近頃はそういったエレクトリック系の音楽の割合は減ってきて、ポップス、ロック、ジャズ、クラシックなど、様々なジャンルの音楽が再び増えてきました。ちなみにちょうど今作業していたのはトルコのトラディショナルな音楽で、おそらくだいぶ前に録音されたものかと。」

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---このコンソールはレコードカッティング専用に作られたものですか?

「そうです。通常のコンソールは、レベルやイコライジング、ダイナミクスを調整するセクションを含めた、ステレオの音の信号が通過する回路がひとつだけですが、カッティング・コンソールにはこの回路が並行して2つあります。ひとつめの信号はカッティングマシーンにどんな音源が届くのかあらかじめ知らせるために。そしてもうひとつは、『ラッカー盤』にカットするためのもので、その信号はカッティングヘッドへ届きます。私はここですべての調整を、2つの音の信号に対して行わなければならないのですが、あとでさらに詳しく説明します。」

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---(スペクトルアナライザーを差して)これは何のために使うものですか?

「周波数の帯域を目でチェックするためのものです。基本的にはどんな音でもレコードにすることができるんですが、強すぎる音に対して、ある程度の制限があります。(ヴォーカルのSやTの発音に代表される)歯擦音、(HやFなどの)摩擦音、ドラムのハイハット、クラッシュ、シンバルなどの高音域が強すぎると問題が起きます。レコードを再生したときに、その部分に歪みが出たり、バリバリというノイズが鳴ったりします。
 それを避けるために、レコーディングされた音源がカッティングに適しているかどうかを、常に判断します。特に高音域に気を配るんですが、極端な例では、マスタリングスタジオにマスターを返さなければなりません。処理を大胆に行った場合、全体的なサウンドイメージに影響を及ぼしてしまうことになり、クリエイティブな部分に触れてしまうからです。私はいつも美的な評価や修正をすることではなく、技術的な評価に重点を置いています。」

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---これからカッティングしてもらうのは、普通のレコードよりもひとまわり大きなサイズですね。今まで一度も見たことがないです。これは、レコードではないんですか?

「ここではまず14インチの『ラッカー盤』を制作します。ラッカー盤は片面だけしか使用できません。反対側はプレス工場でダメージを受けてしまうんです。カッティングが終わったら工場に送る前に、レコードの中央部分に手で識別用の刻印を施します。通常はカタログ番号かマトリックス番号、またはレファレンス番号、稀に追加のメッセージ、このスタジオ名であるSST、最後にカッティングエンジニアの印として私の場合はラストネームのKRを。」

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---A面、B面にそれぞれ、世界でただ一枚のラッカー盤ができるんですね。

「その通り! このラッカー盤をプレス工場に送り、それを元にして彼らがスタンパーという型を作り、そのスタンパーからレコードが生産されるのです。では、これからあらためてカットしていきますので、この機会にカッティングの準備と手順をお見せします。」

---ぜひ、お願いします!

「このノイズが聴こえますか? これはバキュームの音です。何もしなければラッカー盤はターンテーブルの上に置かれるだけですが、このバキュームを作動させると取り外すことができなくなります。ターンテーブルに吸着されるのです。」

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---固定するために、ですか?

「そう、滑ってしまわないように、そしてターンテーブルと完全に水平にセットされるように。さらに吸引管があるんですが、レコードの音溝(グルーブ)が削られた際に出る材料の『かす』を取り除いてくれます。音溝はこの鋭い(サファイアかルビーで出来た)針で削られますが、吸い取らないとすぐに溜まってしまうんです」

---ミクロな世界だと思いますが、このコンソールとカッティングマシーンを使って、これらの溝をどんな風に削っていくんですか?

「モジュレーション(音溝の『うねり』)の振幅は、レコーディングの音により決定されます。レコードは回転しながら外側から内側へ向けて、スパイラル状にカットされていくのですが、音量が大きいほどその動きは激しくなるので、大きな音量の音は、より多くのスペースを必要とします。そんなときは、直前にカットされた隣り合う音溝に重なってしまわないように、音溝どうしのあいだの幅はより大きくなります。逆に、静かな音楽や無音の場合は多くのスペースを必要としないので、小さな幅でカットされます。
 要するに、一回転前にカットされた音溝の幅と、今現在カットしている音溝の幅をあらかじめ知っていなくてはなりません。聴いてみてください。音楽のカッティング用の音なんですが、少し遅れているでしょう。ちょうどレコードの半回転分の時間、ズレています。これが音溝の幅を計算するために必要な時間なのです。このタイムラグがあることで、実際にカットする前に次は一体どのような音楽が来るのかをコンピュータが認識し、同時に音溝と音溝のあいだにどれくらいの幅が必要になるかを計算するのです。」

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---ただ単純に溝を削っていくだけじゃないんですね。他にも気を付けなければいけないところは、どんなところでしょう。

「たとえば、こちらのB面の時間は25分ですが、どれくらいの音量で、またはどれくらいの強度でこの曲をカッティングできるか、事前に推定しました。なぜならカッティングする音量が、どれくらいスペースを消費するかを決定するからです。レコード片面のスペースには限りがありますので、そのスペースを有効に活用するために最適な設定を見つけ出す必要があります。使用可能なスペースの範囲に収められるような設定にしないと、最後の曲がレコードに収録できなくなってしまったりします。また、最終的にレコードのスペースの半分しか使われていないような状況も、避けなければなりません。たとえ全てのスペースが使われていなくても、技術的には大きな問題ではないのですが、見た目が良くありません。リスナーはレコードにほぼ完璧な溝が彫られていることを、期待していますからね。」

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---たしかに。最初から最後まで音溝が刻まれていて当然だと思っていましたが、トータルタイムはレコードによってまちまちですもんね。なるほど~。

「このように、音溝の深さと幅をあらかじめ設定しないといけないんですが、無音部分や基本の音溝の幅をあらかじめ機械で設定できます。この25分というマスターは、レコードの片面にとってはかなり長いので、最小に設定します。」

---反対に、時間が短すぎるレコードもありますか?

「例えば片面10分とか、マスター音源が短い場合は、とても大きな音量でカットすることができるので、音溝のうねりの寸法が大きくなるようにセッティングします。スペースがたくさんあるので、余裕を持って可能な限りの面積を使うことができます。逆に、余裕を持たせすぎてマスターがスペースからはみ出ないように、注意して細かく調節しなくてはなりませんが。」

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---低域と高域で溝の深さや幅に違いはありますか?

「マイクロスコープ(顕微鏡)を覗いてみてください。ベースのような低域の周波数は長いカーブを描き、よりゆっくりとした動き(振動数が少ない)の音溝であることが分かります。この、細かく刻まれているのがハイハット、ゆったりしたうねりをともなっているのがバスドラムです。短いうねりは高域周波数を、長いうねりは低域周波数を表しています。このようにどんなグルーブでも組み合わせることができるのです。」

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---まさに音が絵になっています!

「基本的にモジュレーション(音溝の『うねり』)は、垂直方向(浅く⇆深く)の動きではなく、水平方向への動きなので、音溝の深さは一定になります。つまり、カーブは上下方向ではなく、主に左右に動きます。もし左右のチャンネルに対して、音量やフェーズ(位相)に差がある場合には、これに『深さ』のモジュレーションが加えられます。例えばもしヴォーカルが常に中央に定位して(=置かれて)いる場合は、モジュレーションは左右だけということになります。」

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---そうだったんですね。水平方向の動きだけで音楽を再現できるということも凄いですが、溝の深さの方は『ステレオ効果』に秘められているんでしょうか。

「はい。深さのモジュレーションは、左右のチャンネルの音に差がある場合に加わります。ベースとヴォーカルが真ん中に定位していて、ギターが左側だけに定位している場合、基本の音は水平方向だけのモジュレーションとなり、ギターはそれに垂直のモジュレーションを加えます。これはステレオの作用を最大限引き出すために、必要なこと。レコード針は、水平方向と垂直方向のモジュレーションがどのように組み合わさっているかを通して、こちらが左のチャンネル、こちらが右のチャンネルということを感知するのです。」

---ところで、いままで数多くのカッティングをこなしてきたダニエルさん。クライアントは世界中にいるんですか?

「ドイツ国内は20%くらいで、フランスやアメリカが多く、時々イギリスからの需要もあります。でもイギリスには、かなり多くのカッティングスタジオがありますね。ドイツには10ヶ所ほどのカッティングスタジオがありますが、イギリスはもっと多いです。」

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---ダニエルさんも楽器を演奏されたりするんですか?

「趣味でベースを弾いているんですよ。12、3才のころに始めたんですが、プロのミュージシャンになろうと思ったことはありません。バンド仲間とたまに街で演奏をしています。いくつかのパンクロックバンドから始まって、エクスペリメンタルなものやジャズ、そのあとはポップロックに移行しました。だけど最近また、うるさめなロックをやりたいなぁと思っていて、メンバーを探しているところなんです。」

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---このメモはなんですか?

「これは各レコードのカッティング時に適用した設定や手順を、記録したものです。たとえばJSLP-68、つまりHARCOさんのラッカー盤をもう一度カッティングしたいときは、これらのノートを参照すれば、全く同じ設定&調整で再現できるんです。私たちはこれらのノートを1971年からずっと付け続けています。」

---うわぁ。いつでも再現できるということは、どんなレコードでも当時のままの音でリイシューできてしまうんですね。

「ところで、HARCOさんのアルバムの5曲目のインストゥルメンタルなんですが、不思議なエフェクトがありますね。ミックスによるものなんじゃないかと思いますが、21~22kHzあたりにとても強い音があって邪魔をしています。ローパスフィルター(設定したある周波数よりも低い信号だけが聴こえるようにする装置)をかけて、その部分を少々削減しなければいけません。このままだとカッティングヘッドを痛めることになり、最終的にターンテーブルで再生したときにも不快なノイズが出てしまいます。」

---わかりました。音像は多少変化してしまうけれど、アナログ化のためには避けられないプロセスであれば、よろしくお願いします。A面とB面にセパレートさせるとき、6曲目をB面の1曲目に設定したのですが、そのあたりはどうですか?

「B面はA面よりも1曲多くなり、結果的に5分長いので、モジュレーションの強度の設定を下げる必要があります。そして40Hz以下の周波数信号は多くのスペースを消費するので、(さきほどとは逆の)ハイパスフィルターを使って軽減しました。それによって、スペースを節約することができます。」

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---なるほど、わかりました。ありがとうございます。まとめとして、レコードが出来上がるまでの流れを、簡単に説明していただけますか。

「はい。今、私たちが作成したこの『ラッカー盤』は、柔らかすぎるので何もプレスすることができないのは、知っていますよね。もしこれをスタンパーとしてプレスしていくと、音溝が凸型になってしまい、ターンテーブル上では再生できません。このラッカー盤の上にニッケルでメッキをして、音溝が刻まれたものを『マスタースタンパー』といいます。このマスタースタンパーから再度インプリントを繰り返したものが『マザースタンパー』と呼ばれ、再び音溝が凹型になるので、レコードと同じように再生できます。さらにそこから複製を作れば、大量プレスに最適な『スタンパー』が完成します。」

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---長い長い工程ですね、、、。

「最後に、少しWebを見ながら解説しましょうか。これはドイツのプレス工場なんですが、プレスマシーンがありますね。これらのマシーンは他のプレス工場、例えば日本の東洋化成さんのものとよく似ています。カッティングマシーンもそうなんですが、だいぶ以前に最後のマシーンが生産されて以来、ほとんど新しい開発や生産がなされていません。だから現存するマシーンは希少で、この頃はいつも忙しく働いていますよ。このプレスマシーンの一方にA面のスタンパーを取り付け、もう一方にB面のスタンパーを取り付けます。その中間に、温められた柔らかいプラスティック(塩化ビニール)の塊を置いて、両側からプレスして、レコードが完成します!」

---おお~。今回のアナログ製作はカッティングからプレスまで、ここドイツですべてお願いしています。全工程を終えて日本に届くのを、楽しみにしています!

*「ゴマサバと夕顔と空心菜」のB面カッティングの立ち上げを、なんと僕が体験させてもらい、動画におさめたので、ここに公開! なかなかサマになってるでしょ。



 今回のスタジオ訪問にあたって、現地での通訳やブログに向けての原稿翻訳を担当してくれたのは、フランクフルト在住の蓮ますみさん。ご自身でもエレクトリックミュージックの音楽制作経験が豊富で、このスタジオ訪問を僕と同じように楽しんでくれた。このたびは、本当にお世話になりました!

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