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『route#12』の京都公演で OPTIMO と共にフロアをロックしたのも記憶に新しい、川辺ヒロシ氏のインタヴューをお届けします。DJとしては、レア・グルーヴ・ムーヴメントに影響を受けながら、(クボタタケシから DJ光、シロー・ザ・グッドマンまで)後に脈々と続くオール・イン・ザ・ミックス・スタイルを発明……、トラックメーカーとしては、ヒップホップ・ムーヴメントに影響を受けながら、東京 NO.1 SOUL SET はもちろん、藤原ヒロシとの HIROSHI II HIROSHI、クボタタケシとの SONS OF NICE YOUNG、DJ KENT、笹沼位吉との GALARUDE、など数々のユニットでキープ・オン・ルッキング・フォー・ザ・パーフェクト・ビート……、と、常に海外の最新のムーヴメントに日本独自のアンサーを提出し続けてきた彼が、これまで考えてきたこととは?そして、いま考えていることとは?BGMはもちろん、ディスコ・パンク〜ダブ・ハウスをミックスした最新ミックス・テープ・シリーズ『SURRRRROUND』と、TOKYO NO.1 SOUL SET の 5年振りの新作『CHANGE MY MIND』で。では、どうぞ! INTERVIEW+TEXT: RYO ISOBE(JET SET TOKYO)
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(1)DJ=川辺ヒロシ
DJ を本格的に始めたのはいつ頃からですか?
「たぶん……、23歳ぐらいの頃?よく覚えてない(笑)もともと東急で働いてて、20歳ぐらいで辞めて、退職金でターンテーブル買って、『FLASH (DISC LUNCH)』でバイトをしだして……。その辺でDJも始めてるんだけど、真剣にやり始めたって言えるのは23歳ぐらいからじゃないかな。89年とか90年とかの話」
やっぱりレア・グルーヴ・ムーヴメントに影響を受けて……、という感じですか?
「そうだね。『FLASH』で働き始めた頃はレア・グルーヴなんか知らないからさ、いろんな DJがお店に来てたんだけど、(彼らが)"おっ!"とか言ってひっかかるレコードを見て、"なんであんなのにひっかかるんだろう?"って不思議に思ったり。それまでは、ビートルズの"ブッチャー・カヴァー"とか、高いレコードってやつが決まってたのが、300円のフュージョンとかにみんな大騒ぎするっていう、その逆転現象の真っ只中だよね。レコ屋の人たちも戸惑ってるっていう」
それをレジから眺めてた。
「うん。で、どうやらイギリスで、ノーマン・ジェイとかがそういうことやってるんだと、日本でも同じようなことをやっている人がいるんだと、そういうことがなんとなく分かってきて。(藤井)悟くんとか、HEYTAさんとか、荏開津(広)さんとかのイベントに遊びに行くようになって。また、『FLASH』は、ロックもあればソウルもあって、ジャズもレゲエもブラジルも……、狭いなりになんでもあって。それは(レア・グルーヴを知るには)、もう、最高だよね」
それからレア・グルーヴにどっぷり?
「いや、でも、(『FLASH』の店長の)椿さんがまたひねくれた人で、全然そのブームに乗っていかないんだ。当時人気があったようなレコードについての知識もすごいのに、乗っていかないっていう。多分、その考え方には相当影響受けてる。ハードコアだなぁ、格好いいなぁって(笑)そうか、"レア・グルーヴだ!わー!"って浮かれてちゃだめだって」
その頃の川辺さんの DJ・スタイルってどんな感じですか?
「今と同じミックス・スタイルだよ。どう上手く混ぜれるか、みたいな。ただ、レア・グルーヴに影響を受けつつも、いわゆるレア・グルーヴのフロア・ヒットはあえてかけないという」
自分の個性が確立されたと思うのはいつ頃からですか?
「やり始めた当時はもちろんギャラなんか出ないし、やれるところならどこでもいい、みたいな感じで、週6とか入れてて。その頃はクラブいっぱいあったしね。すぐ潰れちゃうような小さい店が。それで、しばらくたって、(青山)『MIX』と(下北沢)『ZOO』と(池袋)『KINGSTON』の3つでレギュラーを持ったんだけど、その辺からじゃないかな?今に繋がってくるのは。『MIX』は水曜日と金曜日にやってたんだけど、当時、あの店はとにかく人が入ってて。金曜日なんか 500人とかだよ!」
あの狭いハコに!
「そうそう。タバコ吸おうと思っても火がつかないんだよ!で、朝になったらフロアに酸素ボンベが転がってんの(笑)それが一年ぐらい続いてたのかな?あのキチガイ沙汰の中でやるのはかなり勉強になったな」
それにしても、いきなり金曜日を任されるなんて凄いですね。
「オレ、最初から客はついてたんだよね。だからこそ調子に乗って無茶苦茶なこと出来たし。『MIX』の金曜日も、椿さんじゃないけど、盛り上がってる時にあえて引くというか、"お約束"には絶対持っていかないの。誰でも知ってるような曲も混ぜつつ、引っ張っておいて、気付いたらもの凄いドープな……、フェラ・クティの1曲10分みたいな曲でガンガンに盛り上がってる、みたいな。そういう、いかに騙すかっていうのが楽しかったね」
クボタ(タケシ)さんなんかは、川辺さんのスタイルから学んだところも大きかったのでは?と思うんですが。
「う〜ん、どうなんだろうね……。確かにクボタはその、『MIX』の金曜日によく遊びに来てくれてて、知り合った感じだけどね……。よく分からない。何せ、あの頃の記憶はぼんやりしてるから。素面なのは夕方に起きて、夜、クラブに行くまでで、あとは酔ってるかぶっとんでるか、そんな生活だったしね(笑)」
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(2)トラック・メーカー=川辺ヒロシ
トラックをつくり始めたのはいつ頃からですか?
「えーと、ちょっと長くなるんだけど……、まず、『FLASH』を辞めて、次に服屋でバイトを始めたら、隣の店でビッケが働いてて、そのまた隣の店でドラゴンが働いてて。その辺りはとにかくチャッピーとかレゲエ・DJが多くて、みんなレゲエやってたんだよ。その中では(レゲエ・DJ・ユニット)ドラゴン&ビッケっていうのはすごい浮いてて。ちゃらいというか(笑)、本物志向……、ジャマイカン・スタイルじゃないから。でも、俺はそれがオモロいなぁと思って。だから、彼らにセレクターを頼まれた時もふたつ返事で引き受けて、それから、一緒にライヴをやるようになって。そうしたら、ドラゴン&ビッケが人気出ちゃって、ますます嫌われていって(笑)」
そこから SOUL SET に繋がっていく。
「俺が俊美君と『ZOO』でやってた『SUPER NINJA FREAKS』っていうイベントにドラゴン&ビッケのライヴの時間を設けてたんだけど、そうしたらスタッフがスケジュールに、"『SUPER〜』は東京でナンバー・ワンのソウル・セット!" みたいなことを書いて、俺がそれを読んで "これ、いいじゃん、これをユニット名にしよう" ってことになったの。それから、しばらくしたらスチャダラ(パー)とかとリンクし始めて。スチャダラは衝撃だった。人生でいちばんの衝撃。すげぇのが出てきたな、と思って。『FLASH』時代に一緒に働いてた女の子に "こんど友達が『DJ UNDERGROUND CONTEST』に出るから観に行こう" って言われて、あんまり興味なかったんだけど、チャッピーも出るらしいし、まぁいいかって行って、あんまオモロいやついねぇな〜って観てたら、ボーズとアニとシンコが出てきて『太陽にほえろのテーマ』をかけて、ものすんごい驚いて。ていうかファンになって(笑)それまでは、自分の友達以外に格好いいやつなんていねぇよ、とか思ってたんだけど。イベントが終わった後、さっそく『ZOO』に誘って。……質問なんだっけ(笑)」
ははは。トラックをつくり始めたのはいつ頃ですか?って。
「あぁ(笑)で、その時期から SOUL SET の名前がちょっと知られ出して、そうしたら、なぜか高橋健太郎さんから(コンピレーション)『TOKYO DISC JOCKY ONLY』の参加依頼がきて。じゃぁ、トラックつくらないとって話になって。ネタを福富(幸宏)くんの家に持っていって、ビートを組んでもらって。スクラッチは何故か(DJ)クラッシュさんにやってもらったんだ(笑)」
あぁ、あそこに収録されているのが初めてつくった曲なんですか。
「そうそう。それまでライヴはたくさんやってたけど、録音したことは1回もなかったんだよ」
当時のライヴはどんな感じだったんですか?
「始めにダンスホールとヒップホップをかけて、その上でドラゴンとビッケが歌って、盛り上がってきたらレア・グルーヴをかけて、あとは何でもありだね。ライヴと DJ・セットの中間のようなスタイル。そのうち、いっつも横で参加したそーに観てた俊美君が "オレ、ボンゴでお囃子やるわ" とか言い出して、気付いたらギターも弾いてて、ますます訳分かんないことになってきて、今に至る(笑)」
ビッケさんがトースティングから、ポエトリー・リーディングとラップのフュージョンのようなあのスタイルになったのはいつ頃なんですか?
「『TOKYO〜』が出たあと。初めて録音したものを聴いていろいろ考えたんじゃん?それまで歌詞は英語だったんだけど、日本語で書いたものを英語に訳してもらってたのよ。でも、その、訳す前のものを読んだらすげぇ格好よくて。じゃぁ、これをそのまま歌っちゃえばいいじゃん、って話になって。相当なチャレンジだったけど。英語で歌えば簡単にさまになるから。それが日本語に変えた途端、ドラゴンの脱退と、俊美君のやりたい放題とも重なって、どんどん手の付けられないものになっていって(笑)」
だからこそ面白いって感じですか?
「大爆笑でしょ(笑)腹抱えて笑ってたもん。"あり得ない、こんな音楽!" って」
そこから川辺さんもトラック・メイキングにはまっていった?
「もう、出し合いでしょ。笑かし合いというか(笑) "こんなのどうよ!" みたいな。大変よ、みんなそうだからまとめるのが」
どんどん過剰に、どんどんオリジナルなものにしていこう、というような気持ちがあった?
「うんうん、そうそう。とにかく、"何々風" に聴こえたら、その曲はすぐ止めよう、みたいな。若かったなぁって思うよ。いま振り返ると。神経質だったね」
何かに似ることに対して?
「それが怖かったっていうか。避けて避けて行ってたら知らない場所に着いちゃった、みたいな」
セカンド(『Jr』)のあたりとかもの凄いことになってましたもんね。
「ねぇ(笑)」
ドラゴン&ビッケに惹かれたのは彼らが "浮いて" いたから、というエピソードが川辺さんらしいな、と思ったんですが。パトワでラスタで……、みたいな DJ だったらセレクターは引き受けなかった?
「そうだね。だいたいそんな人からは頼まれないだろうしね(笑)」
SOUL SET って本当に不思議なグループだと思うんですけど、リアル・タイムでインスパイアされた音楽ってあるんですか?
「いや〜、ヒップホップだったらアメリカはデラ・ソウルとか、イギリスはマッシヴ・アタックとか……、それだけじゃなくて、グランド・ビートとかアシッド・ジャズとかテクノとか、90年代頭はいろんなものがどっと出てきたから、もう大変だったよ。いちいち衝撃受けてたな」
川辺さんにとって "ヒップホップ" って大きいんですか?
「うん、大きい大きい。レゲエの次ぐらい」
そうかー。ヒップホップが好きな人がつくるトラックって、やっぱりドラムが中心にあって、そのうえにウワモノが乗ってるって感じになりがちだけど、川辺さんがつくるトラックって、何て言うんだろう、もっといろんなサンプルが絡み合ってグルーヴするような感じじゃないですか。実はヒップホップにあまり影響を受けていないのかも、とか思ってたんですが。
「いや、ヒップホップにはすごい影響を受けてるけど、あえてその影響を出さないようにしてるって感じかな。まず、その、ドラムが中心になるっていうのが嫌なんだよね。俺にはドラムで個性が出せない、って諦めてたのもあるけど。まぁ、ドラムがあって、そこにロックを乗っけたり、ラテンを乗っけたり……、みたいのって安易だと思うし、それよりは、渾然一体と……、ぐちゃーっとなってるのが好き。今はそんなことないんだけど、当時はビートからつくり始めるってのは避けてたね。もの凄い変なやり方で、変なループつくって、それを重ねて……。だから、 RZA とか出てきた時はすげぇびっくりしたな。"なんだこいつ〜!格好いい〜!負けた〜!" って(笑)」
機材は何を使ってたんですか?
「始めは SP950 と 1000 と……、ファースト(『YOUNG GUYS GIFT』)からマックを導入して。あの頃はすぐ固まっちゃうから大変だったな。いや、何でもいいんだ、機材は。人に借りてつくっても。出てくる音が面白ければ。ピート・ロックとかジェイ・ディーとか、いつも同じ機材を使って、いつも同じ音をつくる人も好きなんだけど、俺はそういうタイプじゃないんだよね」
俊美さんってレコーディングでも演奏してるんですか?一説によると、SOUL SET のトラックは全てサンプリングだとか。
「昔はね。今回のなんかは、ほぼ俊美君の演奏をサンプラーに取り組んでつくってる。前作(『9 9/9』)ぐらいからそうなってるかな」
これ、失礼な質問になっちゃうかもしれないんですけど、川辺さんが SOUL SET をやる時に、3人でやることに制約を感じたりしないんですか?
「それが面白いんだよ。俊美君やビッケが参加すると、自分がこうしようと思ったようには絶対ならなくて、それどころか正反対になっちゃってすごい焦ったりとか、"いや〜まずい!" って。でも、大抵、しばらくたって聴き直すと "いや、案外オモロイな" って(笑)それの繰り返しで、いつも」
活動休止したのはどうしてだったんですか?
「あの頃は3人ともそんな雰囲気だったんだよね。"まぁ、1回休もうか" みたいな。休んで、SOUL SET では出来ないことをやってみたい……それが、ビッケだったら NATHALIE WISE だったり、俊美君だったら ZOOT 16 だったり、オレだったら DJ だったり」
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(3)ミックス・テープ・シリーズ『SURRRRROUND』とTOKYO NO.1 SOUL SETのNEW EP『CHANGE MY MIND』
DJ に関しては、『SURRRRROUND』あたりから急に選曲が4つ打ち中心になってきましたが、それはどうしてですか?、
「まぁ、なにしろ、『MIX』で DJ を 23(歳)ぐらいから毎週やってるから。いま 37(歳)だからもう 13年(笑)で、もちろん毎週同じ選曲をするわけじゃないし。どんどん変わっていって、いまにここにいった。これからまたべつのところにいくのかもしれない。そんな感じかな。毎週聴いててくれたらその変化が分かると思うんだけど。そんなの『MIX』のスタッフにでもならない限り無理な話だけど(笑)」
でも、いま "ハウス" が気分なのは間違いないんですよね?
「うん、その辺のレコードを買うのが楽しいなぁってのはあるよ。ダンスホールが形になり始めてきた時とか、ヒップホップだったらデラ・ソウルとかトライブとかが出てきた時とか、毎週毎週レコード屋にチェックしにいくのが楽しみでしょうがないジャンルってのが、その時々であるんだけど、それが今はハウスなのかもね」
きっかけはやっぱりダブ・ハウスですか?
「そうだね。渋谷の『BEAT BOP RECORD』に、前に『CISCO』にいた古川さんって人がいて、その人がいろいろ教えてくれて、影響受けたね。そこはレゲエとか生音もいっぱい置いてあるんだけど、その辺と一緒に聴けるし、かけられるってのが大きかったかもしれない。あと、『CISCO REGGAE』にいた岩城健太郎とか、『0152』の竹田さんとかにも教わって……。やっぱさぁ……、レコード屋巡りって面白いじゃない。普通のこと言ってるけど(笑)毎週毎週レコード買って、『MIX』でかけて……、って繰り返してるうちにいつの間にかこうなってたね」
この前、渋谷の『QUATRO』でスチャダラのライヴを観たら、シンコ君がダブ・ハウスをミックスして、その上でボーズとアニがラップしてて、あと結構前から北澤(KZA)君の DJもああなってるし、昔、"LB"って言われてたような人たちが同時進行でハウス化してる感じはあるなぁと。
「ねぇ、それはほんとに不思議だなぁって思う。でも、そんなレコード(ダブ・ハウス)なんてさ、レコード屋の、ニューヨーク・ハウスとかトランスががーっとある隅に、ほんのちょこっとあるだけなのに、みんなそこを漁り始めて……あれはなんだったんだろうね?まぁ、UK・レゲエの流れを組んでるっていうか、デニス・ボーヴェルとかその辺を聴いてきた人がハマるのは当然の話だよね。最近のダンスホールとかヒップホップとかのイケイケな感じも乗ってけないなぁと思ってたところにピタッとはまったっていうか」
そういう点でも、今回の SOUL SET の EP は、結構、川辺さんの色が強いのかなぁと思ったんですが。
「どうだろうね。でも、やっぱり、半分ぐらいは俊美色だよね。もちろん方向性はなんとなく俺の DJとリンクしてるけど、その上にあんなメロディが乗っかってるんだよ!(笑)あんなの俺はかけないよ!(笑)」
自分が DJでかけるレコードと、自分がつくるレコードに関しては分けて考えてる?
「SOUL SET に関してはそうだね。自分がソロでつくるレコードは、自分がかけたいものをつくるけど。SOUL SET はそういうことは何も考えないね。というか、何を考えてるのか分からない(笑)」
久々のレコーディングはどうでした?
「普通だったね。昔以上に普通だったね。昔は 1日 10万とかのスタジオ使ってたから、スケジュールがタイトだったし、最後の方になると相当煮詰まるのよ。今回はここ(『ZOOT』)のスタジオを使ったからリラックスして出来たってのはある」
SOUL SET の活動はこれからまた定期的に続いていくんですか?
「うん、ニュー・オーダーみたいに(笑)」
全然定期的じゃないじゃないですか(笑)
「その辺はいろいろ含ませつつ(笑)」
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川辺ヒロシ氏のDJで踊りたくていてもたってもいられなくなった人は、以下のサイトでスケジュールをチェック!
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