Dr.Looper / 2019-08-06

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CHAINS / A TOAST TO THE PEOPLE

BLACK & BLUES - CHAINS / A TOAST TO THE PEOPLE

Gil Scott-Heronが所属したカレッジ・バンドによる貴重音源が初の7"リリース!

7" |  ¥1,700 |  BGP (UK)  |  2021-05-12 [再]  | 
Gil Scott-Heronの名前を知ったのは、1990年代前半のロンドンから端を発したアシッド・ジャズやジャズファンクのムーヴメントの頃でした。ここで強調しておきたいのは、その少し前のレアグルーヴ・ムーヴメントでは、彼に全くスポットが当たっていなかったということと、ジャズファンク・ムーヴメントによって、G.S.H以外にもSide EffectやRoy Ayersあたりの音源も、この時期に初めて日本で広く紹介されたということ。当時『ブラック・ミュージック・レヴュー』という雑誌にて荏開津広さんが書かれた、Gil Scott HeronとThe Last Poetsの特集記事を片手にレコードをこつこつと集め、数枚ほど溜まったところでふと自分で気づいたのは、(・・・実はあまり好きでないかも)ということでした。歌もとりわけ上手なわけではないし、バックトラックにも暗い曲が多く、陰鬱なところがどうも好きになれなかったのです。けれど、よくよく考えればそれはごく当たり前の話で、社会風刺やメッセージ性の強い詩を載せるのに、脳天気なダンス・トラックというわけにはいかないわけで。当時クラブでもっぱら人気だったのは"In the Bottle"という曲で、実はこの曲がアルコール中毒患者問題を扱った曲にも関わらず、そんな曲に合わせてビールを飲みながら陽気に踊っている人々を、少し複雑な気持ちで見ていました。"Angel Dust"もしかり、ですね。さて、初アナログ化となる本盤は、Gil Scott-Heronの最初期の録音物で、まだリンカーン大学に在籍していた頃(その後在籍2年目で中退)ですから、1968年か69年にレコーディングされたものだと思われます。それまでピアノ奏者だったGil Scott-Heronが、その演奏の上手さを目の当たりにしてピアノを弾くのを控えるようになった、という逸話があり、その後のキャリアでも長らくコンビを組むことになる、3歳年下の盟友Brian Jacksonとの共作ですが、自伝によれば「おれたちはBlack & Bluesというグループのために一緒に曲を作るようになり、かなり長い間、共作でこのグループに曲を提供し続けた」とのこと。ということで、そのBlack & BluesにGil Scott-Heron自身は所属していなかったようですね。両面ともヴォーカルはVictor Brownというシンガーですが、彼はGil Scott-Heronのアルバム『The First Minute of a New Day』(1975年)のバックバンド、The Midnight Bandのヴォーカリストとしてクレジットされています。ということは、The Midnight Bandの前身がBlack & Blues、ということなのかも。B面"A Toast to the People"では、Gil Scott-Heron自身のヴォーカルもしっかりと聴こえてきます。ちなみにGil Scott-Heronの動く姿を初めて観たのは、たぶん『Black Wax Live in Washington, D.C.』というDVDで、あまりにも作品や楽曲から想像し得る姿そのものだったので驚いた記憶があります。鋭い眼光で風刺を利かせたMCと、飄々としたパフォーマンスを奇術師のように繰り出す姿は、国家権力を嫌い、常に反体制側に立つであろう、意志の強さとしぶとさを感じさせました。政治腐敗やアパルトヘイト、原発問題、薬物問題を正面から扱った詩は、特に後進世代のラッパー達にも大きな影響を与え、そしてその恩返しとして、例えばKanye Westは自身の作品で積極的にサンプリングしていたのですが、その使用料という形で晩年のGil Scott-Heronを経済的に支援していたのかも、なんて思ったり。Gil Scott-Heron本人も、あと10年生まれるのが遅かったら間違いなくラッパーになっていたでしょうし、もしまだ生きていたら現在の米トランプ政権に対して、どんな言葉を投げていたのか聞いてみたかったのですが。
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DARKEST LIGHT / DEEP GULLY

LAFAYETTE AFRO ROCK BAND / OUTLAW BLUES BAND - DARKEST LIGHT / DEEP GULLY

ユニークな7インチのリリースが続くレーベルMushi 45の第5弾はアフロ・ファンク&ブルース・ロック!!

7" |  ¥2,150 |  MUSHI 45 (UK)  |  2021-12-27 [再]  | 
2017年からコンスタントにリリースを続けている英Mushi 45から、ユニークな曲の組み合わせの7インチが届きました。A面はBobby Boyd CongressやIceと出世魚のように名前を変えていったファンク・バンド、Lafayette Afro Rock Bandの"Darkest Light"で、今回がおそらく世界初となる7インチ化。Jay-ZからJericho Jacksonまで引用した有名ネタですが、なんといってもPublic Enemyの"Show 'Em Whatcha Got"が代表的かと思います。曲の冒頭の気怠いサックスは、後にSanta Esmeraldaというディスコ・グループでシンガーとなるLeroy Gomezによるもの。同グループの有名曲といえば、他にも"Nobody Beats the Biz"のドラム・ブレイクとしてもお馴染みの"Hihache"がありますが、本曲の方がDJプレイでは重宝することでしょう。B面"Deep Gully"はブルース・ロック系バンド、その名もThe Outlaw Blues Bandのセカンド・アルバムに収録されていて、こちらも世界初となる7インチ化。というか、このグループはシングルを1枚もリリースしなかったようです。これまでソウルやファンクやジャズばかり掘っていて、ロックについては「The Beatlesしか聴いていない」と断言できてしまうほど明るくなかった自分でしたが、例えば本曲がDe La Soulの"Eye Patch"(1993年)や、Akinyeleの"Dear Diary"(1993年)に引用されたり、Diamond Dが"Flaming Ember"を引用したり、DJ Premierが"Motherlode"を引用したりと、(これからはロックの元ネタも掘らないと駄目か・・・)と思うきっかけになった一曲でもあります。調べてみると、The Outlaw Blues BandはかのBob Thieleが見出したL.A.のバンドのようで、そのBob Thieleといえば、Creed Taylorから名門ジャズ・レーベルImpulse!を引き継いで、1969年にはFlying Dutchmanレーベルを創立した、ジャズ界屈指のプロデューサー。プレシジョン・ベースと思われる、コロコロした音のベースが特徴的な、スローテンポなファンキー・ロック。B面も最高です。
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KEEP IT UP (INC. J.ROCC EDIT)

MILTON WRIGHT - KEEP IT UP (INC. J.ROCC EDIT)

レアグルーヴ・クラシックとしても名高い"Keep It Up"をJ.Roccがリエディット!!

7" |  ¥1,980 |  ALSTON / OCTAVE (JPN)  |  2019-07-23  | 
2015年5月のこと。仕事で名古屋を訪れた時、帰りの新幹線まで2時間だけ時間が空いたので・・・と迷わず向かったのは、やはり中古レコード屋でした。ひつまぶしを食べに行くという仲間達と別れ、そこからレコ屋までの往復の時間を考えると、滞在できるのは正味1時間強ぐらい。(それじゃあ大須かな)、と考えながらタクシーを止めました。15分ほどして着いたのは、名古屋発祥ながら昔は渋谷や横浜にも店舗を構えていた、Bという老舗中古レコード店。今でもいくつか店舗がありますが、自分はまず最初に大須店から回るパターンが多い気がします。2階に上がると、一面黄色の壁に掛けられた7インチ群の中に、この曲のオリジナル盤を見つけたのでした。Betty WrightやPhillip Wrightの兄であり、シンガーというよりはソング・ライター/プロデューサーとして、マイアミを拠点に一風変わった(リズム・ボックスや新しい機材を積極的に導入した)ファンクを量産したことでも知られる、Milton Wrightのデビュー・シングルです。まだシンセサイザーが下品だった時代に残された、単音シンセのノコギリ波も印象的な、最高の清涼ファンク。ずっと探していた7インチのうちの一枚で、予想通りお値段もかなり張りましたが、名古屋に来た思い出作りと考えれば現実的に買えなくもない価格。試聴させてもらうと、ほんの僅かにノイズが乗ってはいましたが、そこまで気になるほどでもないレベルのコンディション。少し悩んだ後、結局自分はそれを買わずに店を出たのでした。次に訪れたGという、こちらはこちらで老舗の名レコード店で、そこではなんとかレコードを6枚ほど買ったのですが、わざわざ名古屋で買うほどのタイトルでもなく、なんだか後ろ髪を引かれる思いで再びタクシーに乗って名駅へと向かい、最終近くの新幹線の酒臭い車両に乗り込んで、席に座って眠ろうとしたのですが、あの茶色と赤と黄色のレーベルが頭から離れなくなってしまったところで、遂に観念してスマートフォンを取り出す羽目になったのでした。帰りの新幹線の車中で注文して、そこから3、4日経ち、店頭で逡巡したあの価格よりも更に送料分が高くついた形で、念願の一枚がようやく我が家に届いたというわけです。そんな無駄な苦労までして入手したレコードなのに、よく考えたら大須の試聴機で聴いて以来、我が家では一度も針を落としていない、という事実をたった今思い出しました。というのも、実はそのオリジナル盤を入手した直後にオフィシャルで再発されたので、すっかりへそを曲げてしまって聴く気が失せたのでした。ところでMilton Wright、今どこで何をしているかご存知でしょうか。意外なことに今やボストン市裁判所の裁判官をやっているそうで・・・この拙文を締めるにあたって、これよりもインパクトのあるオチを思いつきませんでした。
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FIKISHA / THE BOOGIE BACK

ROY AYERS UBIQUITY - FIKISHA / THE BOOGIE BACK

ブラジリアン・ナイト・ジャズ至宝とも言われる名盤から人気曲2曲が初7"化!!

7" |  ¥2,200 |  DYNAMITE CUTS (UK)  |  2021-03-22 [再]  | 
今月も『Ultimate Breaks Beats』(以下『UBB』)関連盤をご紹介。ここ数年ジャケ付きの7インチ再発を精力的に続けている、英Dynamite Cuts(ライブラリー音源『Philopsis』の再発も最高でしたね)から届いたのは、ご存知Roy Ayers Ubiquityの5枚目のアルバム、『Change Up The Groove』(1974年)の収録楽曲の初7インチ化。A面曲は、前述のアルバムのB面1曲目に収録されていた、"Fikisha (To Help Someone to Arrive)"という2分48秒の短尺ジャズ・ファンク。そちらは正直あまり印象に残っていない曲でしたが、B面の"The Boogie Back"の7インチ化を待ち望んでいたのは、決して自分だけではないはず。ハッキリ言ってこれは快挙だと思います。Juiceの"Catch A Groove"や、Eric B.& Rakim"I Know You Got Soul"でもおなじみの、Funkadelic、いわゆる「偽ファンカ」の定番曲"You'll Like It Too"などと一緒に、『UBB』の2番、通称「黄色」に収録されました。3拍目から入るドラム・フィルは、いかにも「2枚使いしてください」というメッセージのようでもあるし、冒頭の4小節のドラム・ブレイクは、N.W.AやCoolio、2Pac、DJ Q-Bertなど、主に西海岸方面のシーンで好んで引用されていました。実際に叩いているドラマーが誰だったのかについては、残念ながらどこにもクレジットがないのですが、おそらく"Pretty" PurdyことBernard Purdyで間違いないのではないかと。それにしてもこの時期のRoy Ayersはとにかく多作で、数えてみたところ1972年から1977年の間にRoy Ayers Ubiquity名義で10枚、Roy Ayers名義1枚、さらに『Coffy』のサントラと、なんと計12枚ものアルバムをリリースしていました。加えて、その合間を縫って例のRAMPのデビュー・アルバム(1977年)のプロデュースも手掛けていたり。これだけ大量にリリースをしていたにもかかわらず、それ以上に当時の未発表音源が沢山眠っていたようで、少し前にそれらがBBEによってコンパイルされて、一つのアルバムとしてリリースされたことも記憶に新しいのですが、とにかくその凄まじい仕事量には驚かされるばかりです。ところで、本曲以外にもいい曲が多いこちらのアルバムから、次回はぜひ"Feel Like Makin' Love"のカヴァーを7インチでお願いしたいな・・・などと思っていたら、実は2016年にMuro君の企画で、日本のユニヴァーサルから既に7インチ化されていたことに気がつきました。恐れ入りました。
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SCENARIO

A TRIBE CALLED QUEST - SCENARIO

Leaders Of New Schoolとの90'sポッセ・カット金字塔が7"シングルで正規再発。

7" |  ¥1,950 |  MR BONGO (UK)  |  2019-07-01  | 
先日Rip SlymeのPesがインスタに古い写真を掲げていて、それを見た瞬間あまりの懐かしさに思わず声を上げてしまったのでした。どんな写真かというとそれはBusta Rhymesの来日公演時の演者による集合写真で、主役のBusta RhymesやRampageを囲む形で、前座で出演したRip Slyme、Soul Scream、King Giddra、そして当時の我々Rhymesterの面々が、若々しい姿で写っていたのでした。このメンバーが集まったということは、その際に「口からでまかせ」を演ったはず。ということは1995年ぐらいか。もう四半世紀前のことなので残念ながら記憶が曖昧ですが、たしか会場が六本木のジャングルベースで、元々この日の公演はLeaders Of The New School全員がグループとして来日する予定だったのに、直前で急遽Busta RhymesとRampageの来日公演に変更されて、酷くガッカリしたことだけはよく覚えています。後から考えれば1994年の時点でL.O.N.S.は既に解散していたわけで、Busta Rhymesに人気が集中しすぎてメンバー間に軋轢が生じたから、というのがその理由だったらしく、変更もさもありなん、ではあったのですが。ライヴが跳ねた後、ジブさんやKダブが流暢な英語でBustaたちと話しているのを、脇で必死に追いながら聞いててよく分かったことは、上機嫌だったBustaのテンションがとにかく高くて、日本人相手でもガンガン喋ってくる人懐っこい好人物だったということが一つ。そしてもう一つが、当時制作中だったソロ・アルバムについても話してて、その中に「ぜひ日本人が作ったビートを使った曲を入れたい」と言っていたこと。極東まではるばる来て、ライヴも無事に終わったということで、その達成感のついでに飛び出した単なる社交辞令だったのかもしれませんが、それでもそんなことを言うBusta Rhymesに、人間的な魅力を感じずにはいられませんでした。売れる人間は無駄に敵を作らない。さすがはエンターテイナー。そんな彼の言葉を同じく傍で聞いていた坂間兄(Mummy-D)は、確か彼にきちんとトラックのデモ・テープを渡していたはずです。がしかし、1996年の春に発売された彼の1st.アルバム『The Coming』には結局、日本人が制作したトラックは収録されていなかったのでした。もし実際に収録されていたなら、誰かのその後の人生が少し変わったものになっていたのかもしれません。さて、この曲がリリースされた1992年当時に話を戻すのですが、最初に聴いたときは正直好きになれなくて、A Tribe Called Questのどのアルバムに入っているかすら気にならないほど、自分の中では一連のA.T.C.Q.のシングルの中でも「浮いた曲」という扱いに過ぎなかったのですが、今から考えると彼らがBustaを擁するL.O.N.S.をフックアップした功績は大きいし、『U.S.Hot Rap Single』で6位獲得というヒット曲になったことは、その後のA.T.C.Q.のより自由な表現活動にとっても、かなりプラスへと働いたはずです。そして、何よりその瞬間の若さや瑞々しさ(Busta Rhymesも当時はまだ19歳!)を真空パックしたかのような、記録物としての貴重さも、今となってはしっかり評価すべきだったかな、と。つまりは、思わず声を上げてしまった件の自分達の集合写真そのものの価値に似ているな、としみじみ思ったのでした。

Dr.Looper

Profile

1979年よりレコードを買い始め、その魅力に取り憑かれたまま今に至る。1990年から1998年までRHYMESTERに参加。現在はROCK-Tee(ex.East End)とL-R STEREOとして活動中。

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